予定時刻まで時間に余裕がないときに限ってタクシーが捕まらない。
それもそのはず、その日は土砂降りが長引いており、ほとんどのタクシーが出払っていた。
他の移動手段も脳裏を過ったけれど、このような時は急がば回れ。
専用ベンチに座って、薄灰色に染まった空を眺めながらタクシーを待つことにした。
5分、10分……どれくらい、そうしていただろうか。
いつの間にか隣に腰掛けていたご年配の女性から「あなたのお家には縁側や勝手口はある?」と声をかけられた。
私が、マンション暮らしが長いから縁側も勝手口もない暮らしだと答えると、彼女は手にしていた杖を何度も握り直しながら深く大きく頷いて、「今はそういうお宅が多いけれど、棺桶はどこから出すのかしらと思ってね」と返ってきた。
私は亡き祖母から、この手の話を聞かされたことがあり、その女性が何を言わんとしているのか察することができたけれど、そのような風習も、いつか無くなるのだろうかと思った。
今回は、自宅の出入り口の使い方、出入口のお作法に関するお話を少しと思っております。
ご興味ありましたら、ちらりとのぞいていってくださいませ。
マンションにお住まいの方が、個人で使用している出入口と言えば「玄関のみ」という場合が多いけれど、戸建てのお家にお住まいの方の中には、玄関意外にも縁側、裏口、勝手口など複数の出入り口を用意している場合もあるかと。
戸建てのお家でも、年々、出入口の数を減らす傾向にあるそうなのだけれど、複数の出入り口を用意しておくことは、日本の風習がもとになっているのだとか。
先人たちは、日常生活の中で玄関や縁側、裏口、勝手口といった幾つかの出入り口をシチュエーションや立場によって使い分けていたといいます。
私たちからすると玄関が家の顔であり、メインの出入り口という感覚があるけれど、本来は仏壇までの道のりが一番短い縁側が玄関よりも格式が高かったよう。
日常的に使う出入り口は玄関。
ハレとケの非日常に使う出入り口は縁側。
玄関を使うと、家主などの日常のリズムを壊してしまうようなシチュエーションや時間帯に使う出入口は裏口。
御用聞きや郵便配達などの生活に関わっているものごとに使われる出入り口は勝手口。
このような使い分けには、相手の生活スタイルやリズムをこちらの都合で乱してしまわないようにという配慮からきたお作法だ。
現代にどっぷり浸かっている私の感覚としては、あちらこちらの出入り口から人が訪ねてくるよりも、玄関ひとつにまとめてくれた方が、何だか安心する気もするのだけれど、先人たちは人を訪ねるときも、その内容や時間帯、その他諸々に配慮していたということである。
そして、冒頭で触れた、ご年配の女性が発した「棺桶はどこから出すのかしら」という部分なのだけれど、
玄関は、人や物の出入り口として使われている場所だけれど、日本の風習には「棺(ひつぎ)」は玄関から外へ出してはいけないというものがある。
この理由は諸説あり、お住まいの地域によって異なる部分もあるようなのだけれど、「棺(ひつぎ)」は「縁側から出す」というのがお作法だ。
外へ出ることが出来る場所が玄関のみ、という設計も少なくない現代の住宅事情をもとに想像すると、メインの出入り口である玄関を使って出すのでは?と思ってしまうけれど、
玄関は日常使いのものなので、大切な方を御見送りするという非日常のシチュエーションでは縁側を使うということである。
縁側は、御見送りに限らず御祝いごとのご報告をする際も、まずは仏壇の前へ行ってご先祖様にご報告をするという考え方から、まずは玄関から家の中に入るのではなく縁側からというお作法がある。
しかし、このお作法は時代と共に薄れてきており、玄関から家の中へ入り、そこから仏壇へ向かうという流れが主流になりつつある。
現代人のライフスタイルや印象で見ると、玄関よりも縁側の方が格式高いという点に少し戸惑うけれど、その名の通り、縁側は、ご縁に関する場所ということなのかもしれない。
地域によってお作法が異なることはよくありますけれど、このような考えのもとに在るお作法だということを知識として頭の片隅に忍ばせておけば、自分と同じ場合も異なる場合でも、臨機応変にその場のベストで対応できるように思う。
縁側でほっと寛ぐ機会がありました際には、ハレとケを見守るエニシの場所でもあることを、ちらりと思い出していただけましたら幸いです。
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