この時季に降る天気雨が好きだ。
青空から無数の雨粒がザザザザーッと音を立てて落ちてくる。
太陽の光に照らされながら落ちてくるそれは、宝石の欠片みたいにキラキラとしていて、ちょっと嬉しい。
薄暗い景色の中で降りだした雨に遭遇した時には、雨宿りをと思うけれど、天気雨に遭遇した時には、少しくらい濡れてしまってもいいかと思えるところもイイじゃないか。
あとは、天気雨が上がった後の虹。この時に空に架かる虹は大きくて立派なものが多く、これも、この時季に降る天気雨が好きな理由のひとつだ。
あぁ、でも。
熱し続けられたアスファルトや地面からは一斉に蒸気が立ちのぼり、眩暈がしそうなくらいの蒸し暑さに覆われるのは厄介である。
それでも、しばらくすれば、その蒸し暑さも、空気に張り付いている夏の暑さも燃えカスも、時には胸の奥につっかえている諸々までも、その雨がきれいさっぱり洗い流して、在るもの全てを秋へ誘ってくれるようにも思う。
晴れているのに雨が降る不思議。
このカラクリは、いくつかあるようなのだけれど、私の記憶に残っている話は、本来は空に仄暗い雨雲が浮いていたのだけれど、その雨雲が作った雨が、地上にいる私たちの目や体に触れる頃、その雨雲は跡形も無く消えてしまっているというもの。
我が身を雨に変えて人知れず消えていくと聞けば、その姿をひと目でもと思うけれど、雨に気がついてからではやはり遅いようで、姿無き、天気雨を降らせる雨雲を、シャイな奴め!と思いながら落ちてくる雨粒を見上げるのである。
そう言えば、この天気雨を「狐の嫁入り」と呼ぶことがあるけれど、イギリスでも天気雨のことを「狐が結婚式をしている」と表現する人がいた。
聞くところによると、イギリス人の共通認識というレベルの話ではなく、生まれ故郷によってそう表現するところがあるということだったけれど、遠く離れたところで天気雨を見て同じことを思うとは、興味深い。
イギリス人では無かったけれど、天気雨は狐の結婚式ではなくクマの結婚式だという人も居た。
所変わればだけれども、青空から落ちてくるキラキラと光る雨を見て、何か不思議な気持ちになるのは、人の性なのかもしれない。
もちろん、天気雨は、空の上で摩訶不思議なことが起きているのではなく、説明がつく現象によって起きるものだけれど、「見え過ぎないからこそ良い」というモノゴトも世の中には多々あるように思う。
降り出した天気雨を眺めながら、そのようなことを感じた日。
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