青空マーケットが開かれていたその日、楽し気な雰囲気に吸い込まれるようにして中をのぞいた。
あまりにも大勢の人で賑わっていたため、それほどまでに人気あるイベントなのだろうかと思いかけて、その日が連休の中日だということに気が付いた。
イベント会場そばにある猫カフェの窓辺には、可愛い猫たちがズラリと並んでおり会場を見下ろしていた。
きっと、普段とは異なる風景に何事だろうかと各々、監視の目を光らせているのだろう。
私はその会場を縦断しながら目的地へ向かっていたのだけれど、途中、「形は悪いけれど美味しいですよ」という呼び声と共にスーパーでは目にする機会がないような、個性的な形に仕上がった野菜を頭上で振る店主や、
素材が持っている個性を活かしたイスを集めたお店、「鑑定書は付かないけれど、天然のサファイアアクセサリーです」という看板などが目に留まった。
美しく整えられたものには、そうされたものが持つ美しさや良さがあるけれど、こういった素材そのものを最大限に活かしたものには、そのままの状態が持つ美しさや良さがある。
青空マーケットは、後者と出会う確率がグンと上がる魅力的な場所である。
いつだっただろうか。
法要の席で耳にした、曲がった木は曲がったまま使い、真直ぐ伸びている木は真直ぐのまま使うのが良いという話を思い出した。
それぞれの木が持っている本来の個性を大切にして活かすと、真直ぐに伸びている木も曲がった木も、そのままで美しいという話で、木に限らず、物も素材も人も、この世にある全てのものに言えるとのこと。
上手いこと言うなと思いながら聴いた話である。
やはり、極端に偏りすぎてしまうと、自分で自分の首をじわじわと絞めるかのように、身動きがとれなくなり、苦しくなってしまうのだろう。
どのような時にも気持ちをフラットに。
そして、必要に応じてどちらにも対応できる、しなやかさを。
そう思う。
鑑定書が付く、付かないに関わらず、サファイアという名の深い蒼色をした石が好きな私は、ちょっとだけサファイアアクセサリーのお店をのぞいた。
人よりも長い年月を生きてきたサファイアは、身に着けている傷までもが愛おしい。
「傷」をネガティブなものにしてしまったのは誰だろう。
いいじゃないか、傷くらいあっても。
サファイアを思っての気持ちなのか、自分自身を励ますための気持ちだったのか分からないけれど、そのようなことを思った青空マーケットでのひとこまである。
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