母親に抱っこされた赤ちゃんが、母親の肩に片手をつくような態勢で、後ろを歩いている私の方をじっと見ていた。
あまりにも真顔で視線を向けるものだから、ニッコリと笑ってみたのだけれど、心ここに在らずのように見えた。
すると一旦、母親の胸の方へと下がって行き、また直ぐに、ひょいっと顔を出した。
もちろん、片手は上手に母親の肩の上である。
そして、空いているもう片方の手には何やら、たまごボーロよりも大きく見えるボーロのようなものを握っており、それを私に見せつけるかのように手首を左右に揺らして見せた。
今度は笑顔である。
微笑ましく見ていると、大きな口を開けてそれを口の中へと入れようとするのだけれど、多分、自分の口の位置がつかめていないのだろう。
口から少し離れた位置にボーロのようなそれをグイグイと押し当てては、「何か違う……何で?」という困った表情でこちらを見るのである。
そして、その表情は、食べたいのに食べられない苛立ちと食べられるはずなのに食べられない謎の狭間を行ったり来たりした末に涙目に。
本人は至極一生懸命だ。
もしかしたらその一部始終を見ている私に、「何とかして!」というSOSを出していたのかもしれないのだけれど、私にとってその光景は、心の揺れ動きも含めてあまりにも可愛くて、つい見入ってしまっていた。
私たちは自分の口の位置を確認しなくても、飲み物を口に運ぶことができるし、食べることができるけれど、それだって初めは手探りなのである。
私たちが時々やってしまう、グラスにさしているストローが口元から逃げてしまって口元が変なことになって、恥ずかしい思いをするアレ。
赤ちゃんの気持ちは、アレに近かったのだろうか。
いや、やはり純粋に、苛立ちと謎なのだろうと、違う道へと進んで行った親子の後ろ姿を見て思った。
今更ながら、自分にもそのような頃があったのだろうことを想像すると、人ってすごい!と思ってしまった。
もう会うことはないであろう赤ちゃんだったけれど、何とも貴重な一瞬を共有させてもらった気分がした。
そうそう、赤ちゃんのボーロだけれど、赤ちゃんが泣きだす前に母親が後ろ向きの我が子の様子に気が付き、母の手によってボーロの様なものは無事に、赤ちゃんの口の中へと入っていったことを書き添えて、本日はこの辺でお開きに。
先のことが気になることもありますが、大人の私たちも、まずは目の前のことから一つずつまいりましょうか。
本日も良き日となりますように☆彡
画像をお借りしています:https://jp.pinterest.com/