11月もいつの間にか半分を過ぎるようだ。
「過ぎるようだ」などと、他人ごとのような物言いをしてしまうのは、流れゆく時間に追われなくないと思う私の勝手なのだけれど、七十二候がそのように思っている私に忖度するはずもなく、暦の上では、寒さによって大地が凍り始める頃を表す「地始凍(ちはじめてこおる)」が始まった。
※七十二候の地始凍(ちはじめてこおる)は11月12日~16日頃のこと。
日中は、腕まくりをしたくなるような太陽の体温を感じる日もあるけれど、夜の冷え込みは日に日に増しており、季節が行きつ戻りつ変わっていく様を肌で感じられることを嬉しく思う。
寒さによって大地が凍ると聞いて思い出すのは霜柱だ。
あの足を踏み入れたときのザクッザクッという音と感触は、冬のささやかな楽しみである。
本当は、小さな子どもたちを押し退けて子どもの様にザックザックとリズミカルに足踏みしてみたいのだけれど、大人の自分がそう感じられるのは、子どもの頃にその時間と経験があったからだと思い止まったことがある。
そのことに気が付いた頃から、私の、冬のささやかな楽しみは、そっと子どもたちの為に残しておくようになった。
もちろん「ちびっ子の皆、気付いて!」という声なきメッセージを胸に、である。
しかし、アスファルト上で生活していると霜柱に遭遇する機会は皆無に近い。
だからだろうか。
七十二候の地始凍(ちはじめてこおる)が始まると、踏んで遊ぶことも、ちびっ子に譲ることも出来なくなった霜柱の感触に思いを馳せながら、最後に霜柱を踏んだのは、いや、目にしたのはいつだろうかと思うことが恒例になりつつある。
ふと思う、「霜柱」という言葉は生存していますよね?と。
もしも、「霜柱って何?」と聞き返されたなら、眩暈でふらついてしまうようなジェネレーションギャップを感じてしまうように思う。
地面が凍る不便さや、小さな氷の柱が無数に立つ神秘的な景色、神秘的なそれを豪快に破壊する楽しみは、ちょっとしたイベントだ。
アスファルトは便利だけれど、冬のささやかな楽しみを根こそぎ取り上げない程度にお願い致しますと、行き場なきお願いごとを空に投げてみた2019年の「地始凍(ちはじめてこおる)」である。
暦の上では、このような時季に入りましたので、朝晩は思う以上に冷え込みます。
夜は温かい格好でおやすみくださいませ。
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