自然の中から少しずつ色が消える頃だというのに、その日は、春を思わせるような暖かい日であった。
それでも日が落ちて、ムクドリたちが寝床に帰る頃には冬らしい気温に戻るのだから、体調管理を難しく感じるのは人だけではないようにも思う。
中途半端にできた時間を埋められるくらいに遠回りをする帰路を選び、危険が及ばない程度に、そして、怪しまれない程度に、あちらこちらへと視線を向けながら自宅を目指した。
途中、山吹色の絵の具に、たっぷりの檸檬色を混ぜたような色をした歪な塊がぶら下がっている木を見つけて近づくと、山吹色とも檸檬色とも表現し難い色の中央には、レンガ色をした何かが入っていた。
歪なそれの正体はザクロだったのだけれど、丸いザクロは、ぱっくりと割れて垂れ下がった一部分の重みで歪な形になった様で、そのままの姿を保ったまま木にぶら下がっていた。
よく見れば乾燥によって皮も実の部分も水分が抜けおり、ザクロは野鳥のお口には合わないのか、全く手つかずの状態だと分かるそれは、まるで作りもののような姿をしていた。
自然が発する色や姿形にはどうしたって敵わないと感じることがあるけれど、「正にそれ!」と思うような、「ザクロアート」と呼べるようなザクロだった。
美術館巡りにはこころ揺さぶられる瞬間があるけれど、日常に紛れている、こんなアートに触れるのもまた、いとおかし(いとをかし)である。
「いとおかし(いとをかし)」と言えば、『枕草子』や『徒然草』などに登場する古語。
学生時代の記憶の中に残っているという方も多いのではないだろうか。
「いと」には「とても」「非常に」「大変」といった意味があり、「おかし(をかし)」には「趣きがある」「風情がある」といった意味がある。
このような作品を通して触れた記憶が強く残っていることもあって、私自身は「いとおかし(いとをかし)」に触れる際、「とても風情がある」だとか「非常に趣きがある」などと解釈したり、そのような意味で使うことが多い。
しかし、「おかし(をかし)」の部分は、時代を経る中で様々なニュアンスに変化している言葉のひとつで、前後の文章から、使われている意味に目星をつける必要がある言葉でもある。
最も知名度が高いであろう「趣きがある」「風情がある」という意味の他には、「美しい」「きれい」「素晴らしい」という意味や「面白い」「滑稽だ」「おかしい」という意味まであり、その振り幅の大きさを前に、そこまで使い分けている人はいるのだろうかと思ったこともあったけれど、
使い分けを選ぶことができるのは言葉の歴史を追うことができる現代人だけであって、それぞれの時代の先人たちにとっては、今でいうところの流行語のような感覚で使ってきたのではないだろうか、と思う。
時代や暮らしは変わっていくけれど、思いの外、人の本質は100年経とうが1000年経とうが変わらないのかもしれない。
新語、流行語大賞のニュースも思い出しつつ、そのようなことを思った遠回りの帰り道。
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