幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

ペーパーナプキンとアダムの林檎。

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ペーパーナプキンの残量が減ってきていたため、グッと心惹かれるようなデザインのものはないか探すことにした。

無いと困るようなものではないのだけれど、あればあったで重宝することも多いため、惹かれるものとの出会いがあったときにのみ購入するアイテムだ。

ペーパーナプキンとひとくちに言ってもそのデザインは多種多様で、眺めているだけでも楽しいものだから、私の場合は、購入することよりも様々なデザインを眺めること自体を楽しみにしているようにも思う。

その日眺めていたものの多くは外国から輸入されたものだったこともあり、華やかさや色合い、色使いからも、外国の風の匂いや雰囲気が伝わってくるようだった。

それらを眺めていると、個性的なペーパーナプキンをさらりと日常使いしていた、外国に住む友人、知人たちのことを思い出した。

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ある友人は、「ただのペーパーナプキンじゃない、好きに使えばいいのよ」と言って、食欲が半減するようなデザインのペーパーナプキンの上に、美味しそうなタルトを置いて出してくれたことがあった。

当時はギョッとしたけれど、今思えば「自由」から広がる可能性を披露してくれたようにも思う。

他にも、度々お世話になっていたご婦人宅で目にするペーパーナプキンは、ゴージャスな雰囲気のものが多く、目の前に美術館が広がっているような雰囲気があったのだけれど、

ある日のティータイムに使われていたペーパーナプキンには、林檎の木の下にいるアダムとイヴが描かれたものだった。

アレンジが施された絵画調のものだったけれど、その後に運ばれてきたご婦人お手製のアップルパイを見て、「林檎繋がりだったのか!」と思い印象に残っている。

もちろん、それもご婦人の狙いのひとつだったようなのだけれど、メインは他にあったのである。

ご婦人はアップルパイを口に運びながら「アダムの林檎(Adam's Apple)って知ってる?」と私に言った。

私は、アダムとイヴがエデンの園で蛇にそそのかされて食べた禁断の果実、林檎のことかと返したのだけれど、それだと「アダムとイヴの林檎」という説明になるとのこと。

美味しいアップルパイを口に運びながら、早々にギブアップした私にご婦人は、アダムの林檎(Adam's Apple)とは、喉仏(のどぼとけ)のことだと言った。

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食べてはいけないと言われていた禁断の果実を口にするという状況に緊張したのか、アダムは食べた林檎を喉に詰まらせてしまい、これが喉仏(のどぼとけ)になったと言われている。

そして、この話が喉仏(のどぼとけ)をアダムの林檎(Adam's Apple)と呼ぶいわれである。

一方のイヴはというと、彼女も林檎を食べているのだけれど、彼女はアダムが林檎を喉に詰まらせている間に林檎を2つも食べたそうで、その2つの林檎はイヴの胸になったとのこと。

アダムとイヴが描かれたペーパーナプキンを、さらりと日常使いできるご婦人のセンスも印象的だったけれど、この話も当時初めて耳にしたということもあって、色々と記憶に残っている。

ペーパーナプキン鑑賞を楽しみながら、そのようなことを思い出した日。

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知名度が密かに上昇しているアマビエとは何ぞや?

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最近、国内外のアーティストの方々が描いたり、作製したアマビエを目にする機会が増えた。

「国内外を問わず」というところに、世界規模での一体感が感じられる。

アーティストの個性や思いが感じられて目や心の保養にもなるのだけれど、ご利益もあってほしいと願うのは、ここが八百万の神々が宿る国だからだろうか。

今回は、そのアマビエという存在にフォーカスしてみようかと思っております。

アマビエって何ぞや?とご興味ありましたら、この機会にチラリとのぞいていってくださいませ。

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アマビエとは、日本に伝わる人と魚をミックスさせたような妖怪のこと。

この妖怪は江戸時代の瓦版でも紹介された妖怪のようなのだけれど、遠い昔、海の中から光輝く姿で現れて「しばらくは豊作が続くけれど、その後、疫病が流行する。その時には私の姿を描き写して人々に見せなさい」と告げ、海の中に戻っていったと言い伝えられている。

妖怪に興味を持っている方々には広く知られている妖怪なのだけれど、

新型コロナウイルスの広がりを受けて、妖怪の掛け軸を取り扱っているお店の方が「疫病退散にご利益があると言われているアマビエの力を借りよう」「新型コロナウイルス対策としてアマビエのイラストをみんなで描こう」とSNSで呼びかけたところ、

多くのアーティストが独自のアマビエを作品化してSNSに投稿しているのである。

今回お借りした下のアマビエ画像は、京都大学附属図書館に保管されている「肥後国海中の怪(アマビエの図)」で、先人によって描き残されたものだ。

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どこまでアマビエの姿に近づけられているのだろうか……といった野暮な視点はさておき、ネット上では、様々なアーティストが描いたり作製したアマビエを目にすることができます。

お時間がありました折には、お好きなお飲み物片手に美術館巡りをするような気分で「疫病退散!アマビエ巡り!」をしてみてはいかがでしょうか。

幸せのレシピ集からは、上記の京都大学附属図書館に保管されている「肥後国海中の怪(アマビエの図)」を皆様にお届け致します。

ここに足を運んでくださっている皆様にも、アマビエのご利益が届きますように☆彡

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不便さも思うほど悪いものではないのかも。

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ティータイムに選んだ飲み物は、温州みかんのジュースだった。

程よい酸味と濃い甘さが特徴的な100%ジュースに仕上がっているお気に入りで、時折、大人買いをして食品庫に入れておくのである。

フレッシュジュースは常温が好みなので、飲みたくなったら食品庫から取り出して飲むのだけれど、体にぐんぐんと染み込んでいく感覚は、細胞たちが喜んでいるようにも思えて、少しばかり嬉しくもある。

その日は、少し風が強かったけれど天気が良かったものだから、ガーデンテーブルへと移動した。

日焼け止めなどを気にした方が良いお年頃と季節なのだけれど、世の中が、様々な制限を強いられているこの頃なので、「まぁいっか」と大らかさを選んで日光浴をすることにした。

窮屈を感じるようであれば、可能なことを、ほんの少し緩めて自分自身で気持ちのバランスを取ってみるのも手、である。

いつも通りできないことがストレスになることもあるけれど、中には、自分で自分に過度なストレスをかけていることもあるようなので、今一度、現状に照らし合わせて見極めてみるのも良いように思う。

これまでのプランAが通用しないようであればプランBを、それでも上手くいかないようであればプランCをと、しなやかな気持ちで過ごしたいものである。

そうして、全てが落ち着いたときに自分自身を振り返ってみたら、様々な選択肢や知恵を手にした新しい自分に成長しているのではないだろうか。

そうであったなら、ちょっとワクワクするぞ。

そのようなことを思いながら、温州みかんのジュースを口に運んだ。

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そう言えば、今は亡き祖母が、みかんを天井に向かって投げたり揉んだりしてから皮を剥いていた姿を思い出す。

遊びにいくと、こうしてから食べると酸っぱいみかんが甘くなると言っていたけれど、あれは本当だったのだろうかと、大人になってから思ったことがある。

当時は確かに、みかんが甘くなったと感じられたのだろう。

祖母を真似て、みかんを天井に向かって投げてみたり、揉んでみたりしてから食べることもあったように記憶している。

しかし、いつからだろう。

そのようなことをしなくても十分に甘いみかんばかりが流通するようになったからなのか、いつの間にか、そのようなことをすることも無くなっていることに気付き、調べたのである。

すると、みかんには、自分の体(果実)が傷つくとクエン酸を使って治そうとする機能があるというのだ。

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クエン酸は、「酸味」を特徴とするあの成分である。

みかんは、自身の中にある酸味成分を使って傷を治すため、結果として酸っぱかったみかんが少し甘くなるというのだ。

私はてっきり、衝撃によって糖度が上がるのだろうと思い込んでいたので、酸味を傷の修復に使用して減らされたことで甘くなっていたと知って、みかんの機能に静かに感心した。

多くの方に受け継がれている、おばあちゃんの知恵袋と呼ばれるようなものの類は、「こうすれば、そうなるんだもの」といったシンプルなものだけれど、限られた環境の中で、不便さや不都合状態と共存するために、試行錯誤して辿り着いた生きる知恵である。

便利に慣れきってしまうと、ひと手間や、知恵に辿り着く過程すら厄介なものに感じられることもあるけれど、不便さも思うほど悪いものではないのかもしれない。

それにしても、太陽の光を浴びながら口にするみかんジュースは格別である。

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先生は子どもたち!?

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外出先で利用するお化粧室は不思議な空間だな、と思う。

外から入ってきた見ず知らずの者同士が、淡々と目的を果たして出ていくのだけれど、無防備で居られる場所でもあるのか利用する者の素が垣間見えることがある。

先日、外出先でお化粧室を利用したのだけれど、皆さんが手洗い場に滞在する時間が長いように感じられ、手を普段よりも念入りに洗う方が多い印象を受けた。

手を洗い終えた後も、自分で持ち歩いている消毒液やアルコールシートなどで手を拭う方もいらっしゃって、これが日本で習慣化して定着したら、風邪をひく人も随分と減るのではないだろうかと思った。

そのようなことを思いながら手洗い場を眺めていると、母親が小さな女の子に「手はしっかりとキレイになるまで洗ってね」と言いながら女の子の体を、水道の蛇口に届く位置まで抱きあげた。

するとその子は、グイッと豪快に腕捲りをし、ドラマ内で医師が手術へ向かむ前に手を洗う時のような完璧な手洗いをして見せたのである。

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その、人を釘付けにする手洗いに感動したのは私だけではなかったようで、隣の手洗い場を使っていた方が母親と女の子にお褒めの言葉を投げかけた。

すると母親が、子どもたちは幼稚園や学校などで手洗いの基礎をしっかりと習い、それが習慣化しているため、実は大人よりもしっかりと手を洗うことができているそうだと返していた。

確かに、大人も石鹸を使って手を洗うけれど、その度に爪の表面や爪の中まで洗っているかと問われれば怪しいもので、手に石鹸を塗って洗い流すような洗い方をしてしまうこともある。

子どもの頃に習ったはずの手の洗い方も、年を経るにつれて自己流に簡素化させた洗い方をしている方がほとんどではないだろうか。

その場を離れる際に耳に届いた「子どもたちは、1回の手洗いに20秒から30秒ほどかけて洗っている」という言葉が頭に残り、私の手洗いは間違いなく怪しいぞと思いながらお化粧室を後にした。

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その後、蛇口レバーに触れなければいけない手洗い場を使う際、手を洗い終えたキレイな手で蛇口レバーに触れるのはどうなのだろうか?と素朴な疑問が湧き、その辺りも調べてみることにした。

国立感染症研究所が発表している「インフルエンザ対策行動計画」の中では「手洗い」に関しても記載してあるのだけれど、

手洗いは石鹸を使用して15秒以上洗うことが望ましいのだそう。

そして、蛇口レバーに触れなくてはいけない手洗い場を使用する際には、蛇口レバーそのものも一緒に洗うか、ペーパータオルで手を拭いた後に手を拭き終えたペーパータオルを使って蛇口レバーを操作することがすすめられていた。

手持ちのアルコール消毒液を使う方法もあるけれど、品薄である現状を考えると、手と一緒に洗うかペーパータオルを使う方法が現実的な方法で、キレイになった素手で蛇口レバーに触れるのはNGのようである。

日本のお化粧室は、お掃除係の方々のおかげで常に清潔に保たれているところが多いけれど、このような点に個々が気を付けることができたらなら、自分だけでなく、同じ場所を使う方々のことも大事にできるように思う。

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今回、国立感染症研究所が発表している「インフルエンザ対策行動計画書」にざっとではあるのだけれど、ひと通り目を通したところ、

石鹸を使った手洗いには、付着したウイルスを除去して感染リスクを下げる効果があり、60~80%のアルコール製剤に触れることで、ウイルスは死滅するということも記載してあった。

これを機に、大人も自分の手洗いを見直してみても良いのではないだろうか。

正しい手の洗い方を知っている小さなお子さんがいらっしゃるご家庭では、お子さんに手洗いを教えてもらうのもありだ。

これまでの常識や当たり前が通用せず、制限されることも多いとなれば、気が滅入ることもあるけれど、

視点を変えれば、選択肢が減ったことによって、これまで選ばなかったものを選んだり、しようと思わなかったことにトライするきっかけになったり、新しいアイデアが浮かんだり、じっくりと見直すことができたりと、悪いことばかりではないようにも思う。

外出しなくてはいけない方も大勢いらっしゃるし、このようなときだからこそと、これまで通りの生活を送ろうとしている方もいらっしゃいます。

そのような方々のおかげで不便が最小限に抑えられていたり、経済が回っていたりもしますので、ポイントを押さえたあとは、出来るだけ楽しいことやワクワクすることに目を向けて、充実した毎日を送りたいものです。

今回は外出先でのお化粧室問題にフォーカスしましたけれど、何かしらのヒントや知恵の種にしていただけましたら幸いです。

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器の中に見て感じる春も、なかなか風流です。

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イキイキと咲いている向日葵の前を通り過ぎた先で揺れていたのは、淡いピンク色をしたコスモスだった。

この時季にコスモスなど咲くはずがないという先入観が、そのピンク色を私に二度見させたように思う。

暖冬の影響によって冬を越してしまったのか、咲く時期を豪快に前倒してしまった結果なのか、この日、私が目にしたのは秋を象徴する花だった。

四季折々の花が一堂に会している様子を度々目にする今年は、季節感が麻痺してしまいそうだ。

目的地のショップへ到着して店内を見回ると、どこもかしこも「春」といった雰囲気で、桜モチーフや桜色をしたパッケージ、桜を使ったスイーツなどが並べられており、屋内は屋外よりも春が溢れていた。

この日の私のお目当ては、桜の花の塩漬け。

日本には様々な品種の桜があるけれど、塩漬けに使われるのは桜の中でも特に、香りと色がはっきりとしている八重桜の花なのだとか。

湯呑みやマグカップの中に春が広がる桜湯が好きで、この時季は、つい手が伸びてしまう。

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桜湯と言えば、様々なお祝いの席で出されることがあるけれど、桜の花が2輪くっついたものは両家のご縁を結ぶ日に相応しいということで、結納の席の縁起物として使われることもあるという。

時折、人生の節目になるようなお祝いごとが無いから、桜湯を飲む機会がないという話を耳にすることがあるのだけれど、桜には様々な薬効がある。

特に、塩漬けにした桜は、塩漬けにしたからこそ出る香りがあるのだけれど、この香りの成分は二日酔いを和らげたり、咳を止めたり、体内の解毒をしたりといった働きをしてくれると言われているので、春を感じながら体内を整えるレスキュードリンクとして楽しむのもありである。

私には八重桜の花を大量に入手する術がなく手作りの経験はなく、専ら購入派なのだけれど、聞くところによると、桜の花の塩漬けは、非常に手間のかかるものだというのだ。

まずは、花が完全に開いてしまう前に摘み取らなくてはいけないし、

摘み取ったら後は、すぐに汚れやほこりを取り除き、更には一凛ごとに付いている小さなガクを丁寧に取り除くのだそう。

このような繊細な手作業をスピード勝負で重ねて漸く、塩と白梅酢を使って漬けることができるという。

シンプルに塩のみで漬けることもできるようだけれど、花びらが茶色く変色することを防いで、色鮮やかな塩漬けに仕上げるために白梅酢が使われているそうだ。

桜の花の塩漬けは、一年を通して入手することができるのだけれど、このようなことを知ると、もう少し丁寧に味わってみようという気にさせられる。

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私は、お塩を水で洗い流した桜をお酒や紅茶に浮かべて楽しんでみようかと目論見中なのですが、湯呑みやマグカップ、グラスの中に見て感じる春も、なかなか風流であるように思います。

桜には五穀豊穣を司る神様が宿っているとも言われております。

春を感じつつ、今年の五穀豊穣と、自分や大切な方々にとっての五穀豊穣を祈って桜湯を召し上がってみてはいかがでしょうか。

そして、本日は春分の日で、暦の上ではまたひとつ、節目を迎えております。

様々なことがありますけれど、ホッと一息つくことも忘れずに、ここからまた気持ち新たに日々を楽しんでまいりましょうね。

ここへ足を運んでくださっている皆様に、良き風が吹きますように☆彡

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疲れと消化の関係を覗き見してみませんか。

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気分も日差しも春。

そのような日が増えているように感じたものだから、少しずつ冬物のお手入れを始めたのだけれど、冬物のお手入れをした翌日に限って冬を思わせるかのように冷え込むのはどうしてだろう。

そのようなことを思いながら紅茶で暖を取っていると「洗車をすると必ず、翌日に雨が降るんだよ」と言っていた人のことを思い出した。

世の中には説明がつかないことも、説明が要らないことも多々あって面白い。

そのようなことを思いながらキッチンへ、紅茶のおかわりを淹れに向かった。

こういった寒暖差は、気付かぬ間に体へダメージを与えていることがある。

特に、冬から春のように気温が大きく変わるときというのは、体自身も戸惑っているもの。

このような時季は体サポートにも意識を向けると、暖かい季節へと向かうためのエンジンがスムースにかかるように思う。

今回は、体サポートのコツの中から、何となく体が疲れているときに選ぶ食事のコツをシェアさせていただこうかと思っております。

これは、体が疲れているときだけでなく、体調を崩してしまったときや、外食やカロリー過多な食事が続いた後の胃腸の調整にも応用できます。

ワタクシ、柊希(ひいらぎ)の脳内整理も兼ねておりますが、ご興味ありましたチラリとのぞいていってくださいませ。

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私たちが感じる疲労の中には、休む暇がなくて体が疲れているという状態以外に、疲れたことをした覚えはないけれど、何となく体が疲れていると感じる状態があります。

理由が分かっていれば対処方法は多々ありますけれど、原因が思いつかなかったり、休息をとっても状態が変わらないときは、体内の消化活動に注目してみても良いのかもしれません。

といいますのは、私たちの体が使うエネルギーの4割ほどは消化に使われていると言われています。

体を動かしたわけではないけれど、疲れが取れないからという理由で連日焼肉を食べたとします。

すると、体のエネルギーの多くは、食べた焼肉を消化するために使われて、通常活動に使われるはずだったエネルギーが不足し、なかなか疲れが取れないという悪循環に入るのです。

他の例ですと、体調を崩しているときに食欲が落ちるのは、体調を整えることにエネルギーが使われているからだと言われることがありますが、これもこの仕組みによるものですし、

このような体調のときに普段通りの食事を食べると、疲労感が増したように感じられるのも、この仕組みによるものです。

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しかし、疲れているときでも栄養は必要ですので、このような時には胃腸が消化しやすいもので栄養を補給しながら胃腸を休めることができると疲労を和らげられます。

消化にかかる時間は、個人の消化機能によって差はありますけれど、胃の中で約3~5時間、小腸の中で約5~8時間、食べ物が胃に入ってから対外へ排泄されるまで約24〜48時間かかると言われています。

(※時間は専門家によっても多少異なりますが、この辺りが目安かと)

そして、食べたものに含まれている栄養によっても異なります。

糖質は消化するのに2~4時間かかり、たんぱく質は4~6時間、脂質は7~8時間と言われています。

ざっくりとではありますけれど、食材の例を挙げますと果物類は約1時間ほど、お野菜は約2時間ほど、白米などの炭水化物は約8時間、お肉は12~24時間ほどの時間を消化に要するのだそう。

体調を崩しているときに、フルーツやお粥、うどんを食べることを想像すると、消化に使うエネルギーを最小限に抑えて栄養を摂るメニューであることが分かるかと思います。

ただ、厄介なのは元気で食欲もあって、だけれども何となく体から疲れが抜けないというときです。

胃もたれを起こすほどではないけれど、揚げ物を毎日食べていたり、たんぱく質と脂質を豊富に含んでいるお肉や乳製品を連日、たっぷりと食べていたり、何かしら思い当たることがあるかもしれません。

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消化に時間がかかる食べ物や栄養がダメということではなく、そのような食材に含まれている栄養も健康を維持するために必要な栄養ですので、

全く食べないというような選択の仕方ではなく、外食やそのようなメニューが続いたら、このような視点でメニューや食材を選んだり、量を調整するのも体サポートになるように思います。

季節の変わり目は、体も心も胃腸だって大忙しですので、お食事選びの参考にしていただければと思います。

本日も口福な食卓でありますように☆彡

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大きく変わるチャンスのときだ。

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知人がマスクをして電車やエレベーターに乗るのが怖いと言った。

ウイルスのこと?マスクをしていると息苦しいから?物々しい光景だから?思いついた理由を挙げたけれどどれも違うと言い、緊張するからだと言った。

体調が悪いわけではなく、様々な予防をすることを目的にマスクを付けているけれど、最近は、多くの人が他人の咳に対して敏感に反応するため、咳エチケット云々の前に「人前では咳をしたらいけない」という思いから妙なプレッシャーを感じるというのだ。

ちょっとしたもの、例えば空気中の目には見えないホコリや、装着しているマスク内にある目には見えないくらい細かい繊維を吸い込んでしまうと、人によっては、気管が異物を体の外に出そうとして咳が出てしまうようなことがある。

知人は先日、このような状態になってしまったという。

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マスクをしており、「違うんです、この咳は違うんです」と思っていたそうなのだけれど、咳を止めなくてはという妙な焦りが咳の出に拍車をかけたのだそう。

そして、そのときに感じた周りからの鋭い視線と、スッと自分から距離を取って離れた方々によってできた空間を見たら、その場には居ることの方が怖くなり、次の停車駅で電車から降りたという。

このご時世、反応する側の気持ちも十分に理解できるし、反射的に出てしまうものを封じ込めるのも難しいことも理解できる。

こうなると、各々が自分自身のことを守りつつ、お互いを思いやるしかない。

理由がどうであれ、咳が出てしまったときや出そうになったときには、とりあえず自分から一旦その場を離れて、お互いの不安を減らすことも、できることの一つであるように思う。

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先日の出来事は思う以上に友人にとって印象深いものだったのだろう。

友人は、この日以降、急いでいないときにはエレベーターではなく階段を使うようになったと言っていた。

誰かの経験を見聞きするとき、共感できることもあれば共感できないこともある。

また、その両方が入り混じることもあって、辿り着く答えが話してくれた誰かと毎度、確実に同じになるということはないけれど、

様々な視点や観点を疑似体験することで、考え方や物事を捉え方の幅が広がるきっかけになるように思う。

知人のことを大丈夫だろうかと心配したのも束の間、彼女はエレベーターを使わなくなったおかげで体重が2キロ減り、最近は運動不足解消とダイエットを兼ねて階段ライフを楽しんでいると言っていた。

誰かが「大変なときは、大きく変わるチャンスのときだ」と言っていたけれど、最近の様々な出来事を思い返しながら、今がまさにその時なのかもしれないと思った日である。

笑う門には福来るとも申しますし、本日も口角あげてまいりましょ。

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ワタだからって捨てないで。|ピーマン編

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不意にピーマンの肉詰めを食べたくなった。

「不意に」なんて思っているけれど、私の場合は、どこかしらでピーマンの肉詰めを見たに違いない。

何処で見たのだろうか、何処で耳にしたのだろうか……記憶を手繰り寄せても出てこない。

今回は純粋に「食べたい」と思ったのだと思いかけた瞬間に、目に飛び込んできた定食屋の看板には、「ピーマンの肉詰め定食」のタイトルと共に、可愛らしいピーマンの絵が添えられていた。

キッカケは間違いなくこれである。

人の脳は勝手に様々なことを記憶しているけれど、時折、この情報は不要だと判断するのか、こうして不意に投げ返してくるのである。

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ピーマンと言えば、種が付いたワタ部分を捨ててしまうことが多いけれど、実はあのワタ部分には栄養がぎゅーっと詰まっているのだ。

特にピーマン特有の栄養成分でもあるピラジンは、皮部分の10倍以上も含まれているため、ワタごといただきたいところである。

ピラジンは、血液をサラサラにする効果が期待できるそうで、脳梗塞や心筋梗塞などの予防に働いてくれると言われている。

更に、辛くはないけれど唐辛子に似た働きをする成分も含まれていることから、血の巡りをスムースにして発汗を促すため、アンチエイジングやダイエット、冷え性の緩和にも良いとも言われている。

他にも、体内に取り込んでしまった余分な塩分を排出してくれるカリウムも豊富なので、浮腫みを緩和させたり、血圧のバランスを取ったりと、なかなか心強い栄養成分の宝庫である。

唐辛子のイメージで「ピーマンのワタと種は取り除かなくてはいけない」と思い込んでいることがあるのだけれど、ワタ部分には辛味成分や苦み成分は含まれていないので、火を通すメニューであれば、積極的に種付きのワタ部分もいただくと良いのだ。

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例えば、ヘタだけを取り除き、種が付いたままのワタごとピーマンをみじん切りにしてチャーハンなど使ったり、ピーマンの肉詰めを作る際にも、ワタを取り除かずにお肉を詰めるのも手。

ピーマンの肉詰めの場合、このワタ部分を残したままお肉をグイグイと詰めると、このワタ部分がお肉とピーマンをギュッと繋ぐ役割を果たしてくれるため、詰めたお肉がボロッと剥がれ出ることがなく、見栄えの良いピーマンの肉詰めができるのである。

お味に関しても、種とワタ部分に特徴的な味や食感はなく、全てはお肉に包み込まれてしまうため、ピーマンの栄養を丸ごと摂りたいときにおすすめだ。

誰に教えていただいた方法だったか思い出せないのだけれど、私はピーマンの肉詰めを作るときには「ワタ付きピーマンで!」と決めている。

ピーマンを召し上がる機会がありました折には、今回の何かしらをチラリと思い出して楽しくお試しいただけましたら幸いです。

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冬の星座を見納めながら思うこと。

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昼間の暖かさが残っていたのか、その日の夜風は心地良いものに感じられた。

しっかりと防寒して見上げる冬の夜空も良いけれど、着の身着のままガーデンチェアに座って空を見上げることができるこれからの季節は、冬とは異なる開放感がいい。

ただ、自宅付近は不夜城とまでは言わないけれど一晩中明るいこともあり、星の輝きが、その明るさに負けてしまうのが少し残念である。

そのような環境下で見つけられる星の数は多くはないけれど、それでも、ぽつり、ぽつりと光を放つ星を見つけると癒されるから、ついつい空を仰いでしまう。

私たちが見ることができる星の輝きは、星がその瞬間に放っている光ではない。

そう知って眺めていても、何だかピンッとはこないというのが正直な感覚なのだけれど、その光を放った星は、私たちが空を見上げたその瞬間には、もう何処にも存在しない星ということもあるのである。

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光は、この世で一番早い速度で、光が発せられた場所から何処か離れた他の場所に到着するという。

漫画や映画の中で「○○光年」という言葉を見聞きすることがあるけれど、これは、光が、1年かけて進むことができる距離を表している。

これを他の表現に言い換えると、とある星が地球から100億光年離れた場所にあるとする。

この星から放たれた光は、100億年という時間をかけて漸く地球に届くという風にも言い換えられる。

これは、私たちが夜空を見上げた時に、同じような輝きを放っているように見える星が2つ並んでいたとして、

片方の星の輝きは、地球から遠く離れた星から数十年前に放たれた光で、もう片方の星の輝きは、更に遠く離れた別の星から数億年前に放たれた光で、私たちはそれらを見ているということもある。のである。

何だか、ややこしくもあるけれど、差出人と受取人がいる郵便物のようなものだろうか。

だから、私たちが空を見上げて星の輝きという贈り物を受け取ったときには、その贈り物を送りだした星が存在していないということも不思議なことではないのである。

そのようなことを思いながら夜空を見上げると、星の輝きが普段よりも数割増し素敵なものに見えるのではないだろうか。

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このようなタイムラグがあるものは、星の輝きだけでなく太陽や月の光も然り。

太陽は地球の傍にあるため、数億年前の光ということはないけれど、私たちが日々感じている太陽の光や暖かさは時間にして8分から9分前に太陽から放たれたもので、太陽よりも地球の近くにあるお月さまの光は、1.3秒ほど前に月から放たれたものだと言われている。

全てリアルタイム、オンタイムで見ているような気がしているけれど、タイムラグがあり、過去を眺めていたりするのである。

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人と人とのやり取りの中で、思うように気持ちが伝わらなくてヤキモキしたという経験は、誰もが経験したことがあるだろうけれど、リアルタイム、オンタイムでバシッと伝わることは思うよりもミラクルであるようにも思う。

何かと思うように物事が進まないようなときや、やり取りできない相手と出会った折には、この案件(人)は、地球と太陽くらいのタイムラグがあるな、地球と星くらいのタイムラグがあるな、などと思いながらヤキモキをクールダウンさせてみてはいかがだろうか。

そろそろ冬の星座も見納めの頃かと。

私たちが生まれるよりも遥か昔に放たれた輝きを楽しんでみるのも一興かと思います。

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春の日永のひとこまに。

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あっという間に太陽が沈んで空が暗くなる冬は、ただそれだけで気持ちが急くこともあったけれど、その冬が春へ季節のバトンを手渡したのだろう。

気が付けば、昼間が随分と長くなったように思う。

夕暮れどきの空の色も冬のそれとは異なり、どことなく柔らかい色合いに変化している。

その日は、物事が思うようなペースで進まずにスケジュールが押していたのだけれど、外に広がる残り香のような昼間の日差しが長閑に感じられたものだから、ガーデンチェアの上に体操座りをしてミルクティーで一息ついた。

まだ少し空気が冷たかったのか、体の奥へと落ちていくミルクティーの温かさが、じんわりと体中に広がった。

平安時代には既に使われていた言葉の中に、日永(ひなが)、短夜(みじかよ)、長夜(ながよ)、短日(たんじつ)という言葉がある。

これは、季節によって変化する日の長さを表す言葉なのだけれど、お日様の日差しに目を向けるのか、夜の長さや短さに目をむけるのか。

先人たちが、巡ってきた季節の特徴を丁寧に拾い上げて、四季を感じ分けていたことが窺える言葉だ。

春は昼間が長くなってくるので日永(ひなが)と表しているけれど、春よりも更に昼間が長くなってくる夏は、お日様の日差しには目を向けず短くなる夜にフォーカスし短夜(みじかよ)と表現し分けている繊細さが、何とも心地よい言葉である。

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時折冷たい風が吹く日もあるけれど、短日(たんじつ)と呼ぶには既に昼間が長く、間違いなく日永(ひなが)の頃だと思っていると、お祝いごとのお知らせが届いた。

ここのところ、お祝いごとや嬉しいお知らせが続いており、ハッピーのお福分けをいただいている。

その中には、小さなお子様の入学の知らせも複数あり、ワクワクとドキドキが合わさった、今しか感じることができない気持ちを味わっていらっしゃることだろうと思った。

と同時に、「早生まれ」と呼ばれる子どもたちの成長ペースを心配する声も、時折、耳にする。

ある程度の年齢になれば、生まれた日による1年の差は大した問題ではないけれど、成長し始めたばかりの子どもたちを同時に見渡すと、早生まれの子どもたちには、影響が表れることがある。

この時にできた差は、月日を重ねるごとになくなると分かっていても、親の立場から見れば過剰に意識してしまうことも当然あるだろうけれど、このようなときほど周りの子と比べずに、深呼吸、深呼吸。

同じ時間を過ごすなら、比べた結果に対して一喜一憂して疲弊するよりも、今しか感じられない瞬間を楽しむ方が、豊かな時を重ねながら共に成長できるように思う。

子どものことに限らず、大人は大人で自分を誰かと比較してあれこれ思うこともある。

だけれども、それは前向きな何かに気付くための比較であって、ネガティブになるためのものではないという視点があれば、感じることや見えている景色も変わってくるようにも。

ネガティブがやってきたら、ものは試しに深呼吸。

これ、地味におすすめである。

春の日永のひとこまに、そのようなことを思いつつ、私も深呼吸を繰り返した。

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