ペーパーナプキンの残量が減ってきていたため、グッと心惹かれるようなデザインのものはないか探すことにした。
無いと困るようなものではないのだけれど、あればあったで重宝することも多いため、惹かれるものとの出会いがあったときにのみ購入するアイテムだ。
ペーパーナプキンとひとくちに言ってもそのデザインは多種多様で、眺めているだけでも楽しいものだから、私の場合は、購入することよりも様々なデザインを眺めること自体を楽しみにしているようにも思う。
その日眺めていたものの多くは外国から輸入されたものだったこともあり、華やかさや色合い、色使いからも、外国の風の匂いや雰囲気が伝わってくるようだった。
それらを眺めていると、個性的なペーパーナプキンをさらりと日常使いしていた、外国に住む友人、知人たちのことを思い出した。
ある友人は、「ただのペーパーナプキンじゃない、好きに使えばいいのよ」と言って、食欲が半減するようなデザインのペーパーナプキンの上に、美味しそうなタルトを置いて出してくれたことがあった。
当時はギョッとしたけれど、今思えば「自由」から広がる可能性を披露してくれたようにも思う。
他にも、度々お世話になっていたご婦人宅で目にするペーパーナプキンは、ゴージャスな雰囲気のものが多く、目の前に美術館が広がっているような雰囲気があったのだけれど、
ある日のティータイムに使われていたペーパーナプキンには、林檎の木の下にいるアダムとイヴが描かれたものだった。
アレンジが施された絵画調のものだったけれど、その後に運ばれてきたご婦人お手製のアップルパイを見て、「林檎繋がりだったのか!」と思い印象に残っている。
もちろん、それもご婦人の狙いのひとつだったようなのだけれど、メインは他にあったのである。
ご婦人はアップルパイを口に運びながら「アダムの林檎(Adam's Apple)って知ってる?」と私に言った。
私は、アダムとイヴがエデンの園で蛇にそそのかされて食べた禁断の果実、林檎のことかと返したのだけれど、それだと「アダムとイヴの林檎」という説明になるとのこと。
美味しいアップルパイを口に運びながら、早々にギブアップした私にご婦人は、アダムの林檎(Adam's Apple)とは、喉仏(のどぼとけ)のことだと言った。
食べてはいけないと言われていた禁断の果実を口にするという状況に緊張したのか、アダムは食べた林檎を喉に詰まらせてしまい、これが喉仏(のどぼとけ)になったと言われている。
そして、この話が喉仏(のどぼとけ)をアダムの林檎(Adam's Apple)と呼ぶいわれである。
一方のイヴはというと、彼女も林檎を食べているのだけれど、彼女はアダムが林檎を喉に詰まらせている間に林檎を2つも食べたそうで、その2つの林檎はイヴの胸になったとのこと。
アダムとイヴが描かれたペーパーナプキンを、さらりと日常使いできるご婦人のセンスも印象的だったけれど、この話も当時初めて耳にしたということもあって、色々と記憶に残っている。
ペーパーナプキン鑑賞を楽しみながら、そのようなことを思い出した日。
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