幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

和製バスローブは夏の風物詩。

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某日、呉服屋の前を通るとショウウィンドウに新作の浴衣と浴衣用の反物が飾られていた。

あの反物で浴衣を仕立てたら素敵だろうなと楽しい想像がムクムクと立ち上がってきたけれど、自宅に戻れば私のとっておきたちが待っていることを思い出し、この日は素通りした。

別のショップのショウウィンドウには、10代くらいの女の子たちに似合いそうな、ポップな色合わせの浴衣が並んでいた。

お洋服では選ばないような、着ることを躊躇うような色合わせでも浴衣となると、とても素敵に映えるところが和装マジックである。

今の時代を切り取ったような浴衣の残像を瞼の裏側にチラつかせながら、自分が本当に好きだと思うものに辿り着くまでの過程を、存分に楽しむことができそうな浴衣だったと思った。

自分の10代を振り返ってみたけれど、当時、既に自分の好みがはっきりとしていた私は、今の私でも選ぶだろうと思うような浴衣を手に取っていたように思う。

流石に、帯をはじめとする小物合わせは、重ねた月日の分だけ磨きがかかったけれど、あのショウウィンドウにあったようなポップなものも、もっと着てみればよかったかもと、少しだけ、ほんの少しだけあの頃を惜しく思った。

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浴衣は、今でこそ街中で着ることを良しとしているものだけれど、もとは和製バスローブのような位置付けのアイテムで、アンダーウエアやパジャマの域を出ることはなかったという。

それもそのはず、浴衣の歴史をざっと遡ってみると、蒸し風呂に入る際に肌を傷めてしまわないように纏ったり、蒸し風呂や沐浴の際に素肌を人様に見せないように纏っていたものだというから、家の外で着るという発想はなかったのだろうと思う。

しかし、入浴スタイルも少しずつ変化し、身分に限らず纏えるものとなった浴衣は、入浴中に纏うものから入浴後に纏うリラックスウエアやバスローブ、パジャマのような位置づけのアイテムへと変化する。

それを大勢の人たちが手に取るようになれば、より便利な使い方へと変化しながら進化していくのは世の常。

江戸時代には、盆踊りや夏祭りくらいであれば浴衣のまま外出しても良いという風潮に変わったそうだ。

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そうとくれば、浴衣は浴衣でも、自宅内で着るリラックスウエアと外で着るお出かけ用の浴衣を分けて、おしゃれをしたくもなる。

しかし、時代の流れは贅沢を禁じ、庶民に様々な制限を強いており、浴衣に使う生地の素材や色、デザインまでもが限定されるように。

現代人が、政府からそこまで決められてしまったら、一波乱も二波乱も起きてしまいそうだけれど、当時の人たちは、限られた素材と色、デザインを駆使して様々な柄を染め上げ、浴衣のおしゃれを楽しんだと言われている。

今の世には通用しない出来事だけれど、そのような中で出来上がった、目の前にあるものを最大限に生かして楽しむ江戸の粋、みたいなものは、暮らしの中の様々なシーンで楽しく取り入れられるように思う。

それにしても、夏の風物詩のひとつでもある浴衣を目にすると、涼やかで艶やかでいいものだ。

気付けば、蝉の鳴き声も随分と身近なものとなり生活の一部と化している。

さて、今日は目の前のあれやこれやをどう楽しもう。

そのようなことを思いながら外の空気を思いっきり吸い込んだ朝。

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私のお散歩、彼らのお散歩、お散歩もイロイロである。

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この日の外出目的は散歩である。

気付けば家に缶詰状態の日が続いていたため、人間らしい生活を取り戻そうと外の空気を吸いに家を出た。

人の往来も車の往来も、すっかり元通りといった自宅付近の風景を眺めながら、一番近くにある公園を目指した。

手っ取り早く街中の音から離れ、緑を堪能できる場所ということもあって、お気に入りの場所のひとつだ。

立派な木々に囲まれた公園内に入ると、草木の青い匂いと少しひんやりとした空気が出迎えてくれた。

来る度に感じる、ひんやりとした空気の正体は何だろうか、気のせいだろうかと、この日も思いを巡らせたのだけれど、ふと、これも例のフィトンチッドではないだろうかと思った。

フィトンチッドとは、過去に幸せのレシピ集内でも触れたことがあるのだけれど、草木自身が自分の身を森に棲む様々な微生物から守るために発散している物質のことで、私たちはこれを「森の香り」と呼んでいる。

その公園は森と呼べるような規模の公園ではないけれど、植物たちが近辺に棲む様々なものから自分の身を守っているサインなのかもしれないと思ったのだ。

そうとくれば、私(ヒト)にとっては草木からのお福分けとも言えるハッピーな空気ということ。

しっかりと吸い込んで、体中をリフレッシュさせることにした。

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人の姿が疎らな公園を、フィトンチッドを吸い込みながら歩いていると、正面から犬を8匹連れた女性がやってきた。

大小様々な犬たちを一度に散歩させるのは、想像以上に大変だと思うのだけれど、軽やかな足取りで通り過ぎて行った。

珍しい光景だったこともあり、つい振り返って彼らの数を再カウントした。

1、2、3……7、8、やっぱり8匹連れてのお散歩だった。

国内外で犬のお散歩ビジネスなるものが静かに定着しつつあるようだけれど、それだったのではないかと思う。

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犬のお散歩ビジネスとは、仕事で忙しい、出張が多い、体調を崩してしまったなど、利用者の都合は様々だけれども、飼い主に変わって犬たちをお散歩させたり、決まった時間に水や餌を与えてくれる犬のお世話代行サービスである。

私は単純に、飼い主と一緒に行くお散歩だからペットも嬉しさ倍増なのではないだろうかと思ってしまったのだけれど、違う角度からみれば、愛する愛犬の為に、どのような状況下のときでもお散歩を欠かしたくないという飼い主の大きな愛情でもある。

更に犬目線を想像すると、犬もたまには違う人とお散歩してみたいとか、犬友を作りたいとか思うものなのだろうか。

その辺りは、本人(犬)たちにしか分からないけれど、需要と供給のバランスが取れているようで、お散歩ビジネスは、都心を中心に増えつつあるようだ。

外国では既に定着しているビジネスということもあり、一度に複数の犬の散歩ができる大きな公園などでは、トラブルを防ぐために、一度に散歩させられる犬の数が決められていることもある。

そのうち日本の公園の入り口にも、連れて入ることができる犬の数が記されるようになるのだろうか。

そのようなことを思いながら公園を散策した日。

※森の香り、フィトンチッドについて、もう少し知りたいと言う方は下記の関連記事も合わせてどうぞ。

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刺繍の奥にある景色。

 

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長年愛用している革製のコースターがある。

母の友人に革細工を趣味にしている方がいるのだけれど、その方が、ようやく人様に贈れるくらいの腕になったからと言ってプレゼントしてくれたものだ。

そのコースターを母と半分ずつにしてから随分と年月が経ったけれど、タイムレスなデザインと丁寧な仕事が施されたそれは、古くなるどころか、使えば使うほど艶が増し、着々とセルフヴィンテージ化が進んでいる。

コースターケースも作って下さったのだけれど、それは母が持ち、私はお福分けしてもらったコースターを収納するためのケースを探すことにした。

なかなかしっくりくるものが見つからない時間が長かったものだから、ケースは無くてもいいやと諦めたときだった。

引越し先の近所にあった輸入雑貨を取り扱っている店で、コースターケースという名の商品を見つけたのだ。

正直、テイストは全く異なるものだったのだけれど、インドやパキスタンの工芸品だというそれの、手作りによるインパクトがコースターのインパクトとリンクし、購入することにした。

布が張られたケースに小さな鏡が刺繍で縫い留められており、更に鏡の周りを素敵な文様で覆っていく刺繍スタイルで、聞けば、インドやパキスタン辺りに伝わるミラー刺繍というものだという。

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更に、砂漠地帯に住む人たちは、このミラー刺繍が施されたアイテムを愛用しているようなのだけれど、砂漠の中で自分が居ることを遠くの人に知らせる役割や、鏡の輝きによって邪悪なもの祓い除ける意味もあるのだとか。

それまでにも、小指の爪先ほどの鏡が埋め込まれたような刺繍細工を目にすることはあったけれど、それにミラー刺繍という名があることや役割や意味があることは、このときはじめて知ったことである。

刺繍といえば、日本にも刺し子と呼ばれる刺繍がある。

その始まりは、薄い布を何とか長持ちさせたい、保温性を高めたい、補強したいという生活に密着した理由からだと言われている。

単純に、薄い布を重ねて縫い合わせて厚みを出せば全ての問題がクリアになるけれど、先人たちは、そこに遊び心やおしゃれ心を添えるかのように、幾何学模様を縫い込んで仕上げたそうだ。

定番の柄と言われる文様は多々あるのだけれど、私が特に好んでいる柄は七宝繋ぎと呼ばれる文様。

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七宝繋ぎのもとになる七宝文様は、同じ大きさの円を1/4ずつ重ねてできる花びらのようなもの。シンプルだけれども華やかな印象を抱かせる文様で、これを上下左右に規則正しく配置すると、七宝繋ぎと呼ばれる文様になる。

七宝文様、七宝繋ぎ文様は、日本の伝統文様のひとつで和物をはじめとする様々なものに、モダンデザインとして取り入れられている。

その理由は、デザインの完成度の高さはもちろん、繁栄やご縁に関する縁起物として愛されてきた歴史もあるように思う。

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刺繍と一口に言っても、様々です。

刺繍が施されたものを目にする機会がありました折には、何という刺繍なのかのぞいてみますと、その刺繍から感じられる世界がグンと広がるように思います。

また、自分好みの刺繍を見つけて、その背景をのぞき見るのも一興かと。

刺繍を目にする機会がありました折には、今回のお話の何かしらをちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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お弁当はどこまで進化するのだろうか。

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偶然目にした外国の記事で、日本のあれやこれやが称賛されていた。

話題の入り口は、日本人のマスク着用の習慣だった。

確かに、日本ではマスクの着用に関して抵抗を感じる人は外国の方々と比べると少なく、問題となることがあるとすれば、蒸れて息苦しい、メイク崩れが気になる、肌荒れが起きてしまうといった部分であるように思う。

これに対して記事内では、「日本人は世の中がコロナ禍になる前から、花粉や風邪、ウイルス、喉の乾燥対策として自らすすんでマスクを着用していたようだけれど、自分で自分を守る予防対策と、自分以外の人にうつさないための配慮を同時に行う意識が、非常に素晴らしい。」と言われていた。

更に、靴を脱ぐ習慣も衛生面から見てとても素晴らしい文化だと続き、最後は日本のお弁当文化を絶賛して締め括られていた。

絶賛することはあっても、自国の文化でもあるライフスタイルを異国のそれに変えることは簡単なことではないだろうと思っていると、記事の中には、生活の中にマスクを取り入れ、玄関で靴を脱ぐ習慣を取り入れてみたところ、とても快適で周りにもすすめているとあった。

その記事を書いた方が、どのような方なのかは存じ上げないのだけれど、あたり前にあった習慣が身を守ってくれていることを改めて認識させてもらったように思う。

日本のお弁当文化に関しては、過去記事でも触れているのだけれど、日本のお弁当に感動する外国の方は非常に多い。

それもそのはずで、外国のお弁当は日本のそれとは大きく異なっているのだ。

今でこそ、「ベントー(Bento)」という言葉が外国でも使われるようになり世界共通語化しつつあるけれど、これは日本独自の文化だという。

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お弁当のきっかけとなったものに、「乾飯/干飯(ほしいい)」と呼ばれるものがある。

お米を蒸して乾燥させたもので、そのままでも食べられるけれど、水やお湯で戻して食べるもできる保存食の走りのようなものだという。

この「乾飯/干飯(ほしいい)」は農作業をはじめとする仕事の合間に食べるものとして携帯されていたそうで、日本書紀に登場するらしいので、随分と古くから日本には食べ物を携帯する習慣があったようだ。

この、食事を携帯するという発想をもとに生まれた食事は、時代を経る中で様々な進化を重ね、江戸時代にはお弁当のレシピ本が登場したり、幕の内弁当が生まれたりと、私たちの日常にある当たり前の土台が出来上がっている。

身近なものを、もっと美味しく、もっと便利に、もっと楽しいものにと磨き上げていくことに長けた日本人によって、携帯食(お弁当)は今も進化を続けている。

お弁当と一口に言っても様々なものがあるけれど、紐を引っ張ると発熱してお弁当をあたためてくれる駅弁を、外国にいる友人、知人たちに手渡したら間違いなく感動するに違いない。

他にも、コンビニへ連れて行きお弁当棚の前に連れていけば、その種類の多さ、温めてくれるサービス、温められるような容器に入っていることなど、様々なことを楽しんでくれそうだ。

当たり前のモノゴトの中にこそ、思わぬお宝が眠っていたりするけれど、お弁当の歴史を軽く遡るだけで、保存の知恵や食材や食事を防腐から守る知恵など様々なことに触れることができる上に、今あるものに対してのありがたさを感じられたりもして、文化は侮れないものだと思った。

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そのようなことを思っていたら、無性にご当地駅弁、ご当地空弁などを食べたくなった。

結局、「食」に行き着いてしまう相変わらずさだけれども、平安貴族も戦国武将も江戸の人々も食べていたお弁当。

今の私たちに馴染みあるお弁当のもとになっているのは、あの織田信長が発案したものだともいう。

次にお弁当を食べる機会があった折には、「乾飯/干飯(ほしいい)」が進化したそれを、いろいろなストーリーが詰まったそれを、存分に味わおうと思う。

お弁当に触れる機会がりました折には、今回の何かしらをちらりと思い出していただけましたら幸いです。

そして、毎日、お弁当作りをしている皆さん、おつかれさまです。

既にお弁当作りを卒業されている皆さんも、おつかれさまでした。

本日も良き日となりますように☆彡

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コロポックルの居場所。

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時間を見つけては持ち物を見直しているのだけれど、時折、この作業はいつまで続くのだろうかと思う。

半年前には必要だと思っていたものが半年後には役目を終えていることもあり、持ち物を通して自分の変化を感じたりもしている。

年々身軽になっており、物を迎え入れる際には以前よりも考えるようになっているけれど、それでも作業が必要なのだから、自分が思うシンプルさに辿り着くのは、もう少し先になりそうだ。

この日も、場所を決めて持ち物を見直した。

見直す度に中身が厳選されていく感覚は思う以上に心地良く、私は本当に気に入っているものだけに囲まれていたいのだと感じ直している。

しかし、中には手放したい気持ちと、そうできない気持ちの狭間で揺れる「もの」もある。

ここが、断捨離の難関だ。

この日、そう感じた「もの」は、コロポックルである。

縁あって我が家にやってきたそれを、久しぶりに取り出して手の平に乗せた。

頻繁に引越しを繰り返していたものだから、つい、ダンボールにしまい込んだまま各地を転々としてしまっていたけれど、この機会に、我が家の観葉植物の鉢の中で寛いでいただくことにした。

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コロポックルとは、アイヌの伝説に登場する妖精のような存在である。

コロポックルとは蕗の葉の下の者という意味があるそうで、この名前が表している通り、コロポックルは蕗の葉よりも背丈が低い、小人だという。

土でできた家に住む神様だとも言われており、家づくりに使うのか土を盗みに船でやってくるという話もある。

彼らはアイヌの人々と友好関係にあり、食材や幸せを届けてくれたりするようなのだけれど、とても恥ずかしがり屋な性格をしており、人前に姿を晒すことを嫌がるそうだ。

それを知ってか知らでか、ある時、アイヌの民がコロポックルを無理やり引きずり出して正体をひと目に晒したという。

アイヌの民に悪気はなかったと思いたいのだけれど、されて嬉しいこと、嫌なことは人それぞれ。

この件に関して腹を立てたコロポックルの長は、怒りの言葉を残し、一族を連れてアイヌの地を去ったそうだ。

ちなみに、じゃがポックルというお菓子があるけれど、この名はカルビーがジャガイモとコロポックルを合わせて作った造語だという。

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コロポックルの伝説を思い出しながら、観葉植物の鉢の中に置いた我が家のコロポックルは、

蕗の葉を傘に見立てて握っている。

ひと目に晒されることを嫌がるコロポックルだというけれど、こんな場所に引っ張り出して良かったのだろうか。

ふと、そのようなことも頭の中を過ったけれど、嫌になったら我が家から出て行くだろう。

後は彼らが好きなようにしたらいい。

愛らしい姿をしたコロポックルを眺め思った7月の某日である。

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穴の中のヒキガエル。

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栞代わりに使っているポストカードに描かれているのは、とてもキュートなカエルだ。

一丁前に、頭にはゴールドの王冠を、右手(右前足)には美味しそうなパイが乗った皿を乗せてポーズを決めている。

表情を作る個々のパーツのみを見ていけば不愛想にも思えるのだけれど、表情全体をみれば、どことなく笑顔を浮かべているようにも見えるものだから、妙な愛着が湧いてしまった1枚である。

この不思議なキュートさを共有できる友人の誰かに送ってみようと、幾度か取り出したことがあったのだけれど躊躇いが勝って使えなかった。

かといって引き出しの中でずっと日の目を見ないのも、カエルにも作者にも申し訳ないような気がして、結果、私の栞として活躍中である。

生身の……という表現が適しているか分からないけれど、生身のカエルは正直苦手で、生まれてこのかた一度も直に触れたことがないのだけれど、

イラストのカエルやデザインモチーフと化したカエルなどに対して抱く感情は少し異なっているようで、カエルは何だか不思議な存在だ。

そのようなことを思いながら、テーブルに置いていたそれを取り上げて本に挟んだ。

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私はカエルとパイの組み合わせを目にすると「穴の中のヒキガエル」という名の料理を思い出す。

突っ込みどころ満載の料理名だけれど、この料理の中にカエルは入っておらず、小麦粉と卵、牛乳を混ぜて作るプディング生地に、バターで炒めた玉ねぎとソーセージを入れて焼き上げる、総菜パン、総菜パイのような料理である。

プディングという名が入っているけれど外側はサクサク、中はしっとりしているので、パイのようなグラタンのような食べ物だと思っていただければイメージしやすいかと思う。

使われている食材からも想像できるとおり、そのままでも十分美味しいのだけれど、これに、マッシュポテトや茹で野菜を添えてグレイビーソースをかければ、イギリスの伝統的な家庭料理の出来上がりである。

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料理そのものは、美味しくいただくことができる一品で、私も何度も食べたことがあるのだけれど、口にするたびに思っていたのは、どうして「穴の中のヒキガエル」なんて名が付いているのだろうということである。

どこから、どう聞いたって、美味しそうだとは思えない名だし、笑えもしない。

聞けば、焼きあがった状態を見ると、まるで穴の中にカエルが潜り込んでいくみたいな見栄えでしょというではないか。

イギリスという国のことは好きだけれど、こうして飛び出すイギリス人の感性、いやイギリス的なユーモアセンスには度々目を丸くしたように思う。

イギリスの料理はイマイチだと言われることが多いけれど、美味しいものも探せば……ある。

それなのに、探してみたいと思わせない原因のひとつには、名前や見かけで損している料理が多いからではないだろうかと思ったりもする。

見かけだけで分かることも確かに多いけれど、見かけや名前だけでは分からないことも往々にして、である。

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料理上手な知人が焼いてくれていた「穴の中のヒキガエル」に使われていたソーセージは、大人好みのピリ辛タイプでクセになる味をしていたことを思い出し、あの味を再現すべく作ってみようかと本場のレシピを検索した。

美味しそうな幾つかをピックアップしたのだけれど、やはりこのネーミングはいかがなものだろうかと思う夕暮れどきである。

ご興味ありましたら、「穴の中のヒキガエル」いかがでしょうか。

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ミントテロとミントとの素敵な関係。

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時折、手を伸ばしたくなる北見のハッカ飴。

ミントの葉を模した見た目の可愛さも惹かれる理由のひとつだけれど、ひと粒の満足度が高いような気がして、私の中でミントキャンディーと言えば北見のそれ、という印象がある。

近所で購入できるという安心感からなのか、頻繁に購入しているとは言えない頻度での利用なのだけれど、時折という頻度が北見のハッカ飴の美味しさをより鮮明に刻んでくれているようにも思う。

先日は、用事ついでに陳列棚を見回ると、いつもはハッカ飴の隣に並んでいるハッカ油スプレーが品切れになっていた。

あまり見かけない光景だと思っていると、少し離れた場所から店員の方が、マスクに清涼感を持たせたい方やマスクの消臭目的で購入される方が増えていると教えてくださった。

加えて、入手困難になっているのではなく、通常ペースで入荷しているのでご安心くださいと言われ、お店側の先回りの配慮に、今年の諸々がギュッと詰まっているように感じた。

夏は清涼感を期待してハッカスプレーを網戸に噴霧する話を見聞きするけれど、今年はそこにマスクが加わったようだ。

意外にも使い勝手が良く、用途も幅広いハッカ油なのだけれど、このように成分を濃縮してあるものはハッカ油に限らずペットにとっては劇薬になるため、ペットと暮らしているご家庭で精油の類を使用する際には、ペットへの影響を確認する必要があることも念のため、書き添えておこうと思う。

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ミントといえば、フレッシュな葉を摘んで淹れるミントティーの美味しさは格別である。

乾燥葉を使って淹れたものも美味しいのだけれど、ミントの瑞々しさがダイレクトに口の中に広がる感覚は、フレッシュな葉ならではだ。

その美味しさにはまった方の中には、手軽に育てられるという説明書きにつられて、ミントを自宅栽培する方がいらっしゃる。

しかし、誰が名付けたのかは存じ上げないのだけれど「ミントテロ」という言葉があるくらい、ミントは厄介な植物なのだ。

一見、ダメージに弱いハーブのように見えるけれど、圧倒的な繁殖力を持っており、庭や鉢をあっという間に乗っ取り、簡単には駆除できない状態にすると言われている。

また、近くのご家庭の庭で育てられているミントの種が、何かしらの偶然が重なって自宅庭に飛んできて芽を出した場合、気付かなければあっという間に庭に広がってしまうため、素人が育てる際には育てる環境をしっかりと見極める必要があるという。

私も、実家の父が鉢植えで育てたミントで淹れたミントティーを振る舞ってくれていたのだけれど、いつの間にかミントの鉢植えが実家から姿を消していたことを思うと、手に負えなくなったのではないだろうかと、今は思う。

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だから私は、袋詰めされたフレッシュミントを購入し、茎の切り口を、切り花を扱うときのように水揚げし、グラスに生けた状態で使うことにしている。

湿らせたキッチンペーパーに包んで冷蔵庫で保存する方法もあるけれど、これだと目につかず、気付けば葉が黒く変色して使い物にならないことが多いため、

フレッシュミントを購入したときには、鑑賞と食用を兼ねてグラスに生けて、そこから摘み取るスタイルがおすすめである。

できるだけ日持ちさせるコツは、葉っぱが水に触れないような水量に生け、毎日新鮮な水に挿しておくこと。

こうすると、葉を無駄にせず日持ちさせることが可能だ。

続いていた雨が終わればやってくる本格的な暑さ。

目にも優しいミントのフレッシュグリーンと清涼感ある香りで、キッチンを美味しく、涼やかにコーディネートしてみてはいかがでしょうか。

暮らしのひとこまを楽しむヒントやきっかけにしていただけましたら幸いです。

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ひと目惚れと切腹最中を思い出した朝。

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いつだったか。

数年前に訪れた旅先で目にした南部鉄器製の急須を、時折思い出すことがある。

フォルムも発色もとても素敵でひと目惚れに近い衝撃を受けた。

すぐに購入すれば良かったのだけれど、今や南部鉄器製の急須は様々なところで購入することができることもあり、

その時はショールーム感覚で、発色や手触り、使いやすさなどの実物確認のみ行い、改めて購入しようとその場では見送ったのだ。

しかし、自宅に戻りネット上を見回っても、南部鉄器を扱っている近場のショップをのぞいてみても、あの時見た絶妙な色とフォルムの組み合わせには出会うことが出来ず、今に至っている。

長年愛用している小ぶりな南部鉄器製の急須もお気に入りの一品なのだけれど、そろそろ本気で探してみようかと思いつつ、茶筒を取り出した。

お茶菓子を選ばないデザインではあるけれど、あの急須を手に入れたらまずは何と合わせようかと想像してみた。

和洋中、四季折々のお菓子が頭に浮かんだけれど、やはり最初は和菓子を合わせてみたい。

奇をてらったようなものではなく、羊羹や最中、お饅頭といったシンプルなものを。

そうは言いつつも、南部鉄器の艶やかな色に合わせるように、ちょっとした遊び心はトッピングしたいから、香ばしい香りを放つ最中の皮に、程よい甘さの餡を自分好みの塩梅で詰めていただくスタイルの最中など、いいのではないだろうか。

今の時季であれば、最中の皮の中にアイスクリームを詰めていただくのも乙だけれど、ここは初志貫徹。最中に決定だ。

などと、思いを巡らせながら茶葉を入れた急須にお湯を注ぎ淹れた。

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そうそう、最中といえば、新正堂という和菓子店には切腹最中という個性的な名をした最中がある。

最中の皮で封じることができないくらいの量の粒あんが入っており、どこからみても中の餡が見える最中なのだけれど、餡の中央には真っ白い求肥が入っているため、ずっしりとした見た目に反してぺろりと食べられる最中である。

初めて目にしたときには、最中の皮がぱっくりと開いている様子が切腹を思わせるから、この名が付けられているのだろうかと思ったけれど、

聞けば、こちらのお店が忠臣蔵の起こりとなった浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹した屋敷跡にあるため、忠臣蔵にまつわる数々の語りぐさが、このお菓子を通して多くの方の口の端に上ればという思いが込められているとのことだった。

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私が初めてこの切腹最中をいただいたのは、当時の仕事仲間からの差し入れだったように思う。

ちょっとしたトラブルが起き、それを皆で対処したのだけれど、翌日にお詫びと感謝の気持ちだと言って手渡されたのだ。

「切腹だなんて大袈裟な」と皆で笑いながら美味しくいただいたのだけれど、その時に、忠臣蔵を良く知る方から物語に登場する人物たちの話を聴いたように思う。

そちらの話の中身は、申し訳ないくらい覚えていないのだけれど今になって振り返ると、新正堂さんの狙い通り、願い通り、切腹最中を通して忠臣蔵の話が口の端に上ったのである。

久しぶりに、新正堂の切腹最中を食べたくなったかも。

そのようなことを思った朝である。

機会がありました折には切腹最中、忠臣蔵の話題とともにいかがでしょうか。

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そのホットケーキミックスは大丈夫!?

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掃除したばかりの網戸から入ってくる風の心地良いこと。

それほど汚れているようには感じていなかったのだけれど、いつもの風とは違うと感じるのだから、それなりに汚れていたのだろうと思う。

更には、網戸越しの景色も心なしかクリアに見えるものだから、網戸の汚れだけでなく余計なものはできるだけ溜め込まないに限るようだと改めて感じたりもした。

その日は、エアコンも必要ないくらいの涼しい風が入ってきていたものだから、久しぶりにパウンドケーキを焼くことにした。

ホームパーティーでお客様に振る舞う予定があれば本気レシピで焼くのだけれど、完全に自宅用の今回は、出来る限りカロリーを抑えたカロリーオフ仕様のレシピである。

バターは体に良いオイルに置き換えて量を減らし、お砂糖代わりに使っているオリゴ糖も更にラカント(※お砂糖と同じ甘さでカロリーゼロの甘味料)に置き換えて、こちらも気持ち量を減らして使用する。

焼き上がりに添えるジャムもお砂糖不使用のものだけれど、言われなければ気付かないくらいの十分な甘さがあり、自宅でのちょっとしたティータイムは、これくらいで十分なのである。

すき間時間を使っての作業だったので、使ったのはホットケーキミックスの粉。

本来であれば、中途半端な量の粉が残る予定だったのだけれど、粉を残しておきたくなくて分量を調整して使い切ることにした。

一時期、世の中からホットケーキミックスの粉が姿を消したけれど、それくらい多くの方に頼られている、この手の粉が中途半端に残ってしまった時は要注意である。

いつだったか、食材や食品の取り扱いに長けている知人の口からパンケーキシンドロームという言葉が飛び出した。

私は当時初めて耳にしたのだけれど、この言葉の中身を聴いて以来、ホットケーキミックスの粉を選ぶ際は、出来る限り一度で使い切ることができるものか、小分けになっているものを購入し、中途半端に残ってしまった分の取り扱いにも注意を払うようになった。

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パンケーキシンドロームとは、ホットケーキミックス粉などの袋の中で繁殖したダニや、ダニの死骸、フンなどを食べて引き起こされるアレルギー症状のことで、アレルギー症状の中でも重い症状が出ると言われている。

ダニアレルギーを持っている方や喘息の方に出やすいと言われているけれど、個人差があり、詳細は研究中の域を出ていないようなのだけれど、ダニアレルギーや喘息でない方にもアレルギー症状が現れることがあるそうで、注意が必要だと注目されている。

ホットケーキミックス粉には、予め様々なものが混ぜ込まれているけれど、この混ぜ込まれているものと、粉から発せられている香りは、ダニが好むこのだそうで、香りにつられてやってきたダニが餌が豊富な粉の中で繁殖していくという。

しかも、その繁殖スピードが驚くほどに早く、大量繁殖を繰り返すため、粉の中はダニとダニの死骸とフンでいっぱいになるようだ。

しかし、カラフルな色でも纏ってくれていれば気が付くけれど、目では確認できないサイズであることがほとんどなので、気付きたくても気が付けないところが厄介である。

厄介な点と言えば、過熱が通用しないことも挙げられている。

過熱すればダニは死んでしまうかもしれないのだけれど、ダニアレルギーの原因となるダニの死骸やフンは過熱しても粉の中に全て残っているため、ダニが発生してしまった粉は賞味期限内、消費期限内のものであったとしても、処分一択となる。

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しかし、どうしても使いきることができない場合もあるので、そのような時には、しっかりと封をしたものをガラス容器やプラスティック容器に入れて密封し、更にこれを冷蔵庫で保存し、賞味期限や消費期限に関係なく、出来る限り早く使い切ると良いそうだ。

これからの時季は、キッチンやパントリー内の温度もアップダウンが激しくなります。

未開封のものは心配無用ですけれど、開封したホットケーキミックス粉やパンケーキミックス粉、お好み焼きやもんじゃ焼きの粉などの取り扱いや保管にはご注意くださいませ。

美味しい食卓のための、何かしらのヒントやキッカケにしていただけましたら幸いです。

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程よく美味しいとこどりの日々を。

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「最近は、何でもネットでって言われて困るわね」

そう話していたのは、郵便局の順番待ちで私の前にいらしたご年配女性である。

郵便局の新商品なのか、新サービスなのかは分からなかったけれど、局員の方に紹介された何かに対してのリアクションだったように思う。

インターネットの環境さえ整っていれば、ある程度のことは何でも調べることができ、用事なども済ませることができるので、現代社会に欠かせないツールのひとつである。

生まれた時からこのような環境に身を置いて過ごしていれば、年を重ねてもインターネットを難しいツールだとは感じないのだろうけれど、

不便が当たり前という時代を生きてきた方々が、目まぐるしく進化していくインターネット社会のシステムを扱い難いものとして感じることも分かるように思う。

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いつだったか、観光で立ち寄ったお寺の方のお話の中に、最近の若い方は何でも気軽に質問してくる傾向にあるというものがあった。

これは、分からないからといって気軽に質問してはいけないという意味でおっしゃったのではなく、質問の中身の話であった。

社会科見学か何かでお寺に来た学生さんたちに「最後になりますけれど、何か質問はありませんか」と投げかけたところ「生きる意味を教えてください」と返ってきたのだそう。

しかも、1度や2度ではないことから、今はそのような時代なのだと感じられたのだとか。

世の中には時間をかけて答えに辿りつくことができるようなものが多々あるけれど、インターネットで調べればすぐに答えが分かることが当たり前の世の中で育ってきた子どもたちは、

調べればすぐに答えが分かる、誰かに聞けばすぐに答えが返ってくると無意識のうちに学習してしまっているというのだ。

だから、お寺の方が「生きる意味は〇〇です」とシンプルに答えると、どうしてそのような答えになるのかという思考部分をスパッと端折り「分かりました」と答えのみを受け取るのだそう。

そして、後日いただくお礼状には「生きる意味が○○だと分かって良かったです」といった文章も多く見られるという。

もちろん、そのような思考やインターネットの便利さがダメだとおっしゃっているのではないけれど、考えることや不便さや様々な余白といった、人生の中にある待ち時間のようなものの必要性や重要性を考えさせられる話題だったように思う。

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私も、すぐにインターネットに頼る生活にどっぷり浸かっているので、「考えること」を放棄しない日々を送りたいと思う。

そして、何事もバランスなので、時々はデジタルデトックスデーを設けて、自然の風を浴びるような時間をとも。

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