幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

衣替えをしながら過ごす季節の狭間。

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色も素材も「夏」という装いが季節に合わなくなってきているため、夏色をした衣服を少しずつ片付け始めた。

秋冬物への衣替えだ。

とはいうものの、10月頃までは残暑が厳しく、本格的な秋の装いを楽しむことができるのは、もう少しだけ先。

だから、ここからしばらく続くであろう季節の狭間は、夏素材を上手に使った秋色の装いで乗り切る算段である。

そのようなわけで、クローゼット内を眺める時間が増えているのだけれど、この時間は、来年まで持ち越す服か否かを自身に問う時間でもあり、想像以上に気力を消耗するようにも思う。

その日は、シーズン最後のお手入れを施した衣服をクローゼットに戻したついでに、ブラックフォーマルも総点検しておくことにした。

トレンドを追うようなアイテムではないため頻繁に買い替える必要もないものだけれど、いざというときに「何だか変」「サイズが……」などと慌てないために、時折試着するようにしている。

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それにしても、女性だけが正喪服、準喪服、略喪服の3パターンもの喪服を使い分けなくてはいけないことを、少々厄介だと思ってしまうのは私だけだろうか。

近年では、格式高いシチュエーションや特に礼節に厳しいお家柄でなければ、昔とは違いブラックフォーマルの基準が緩くなってきているため、それほど神経を過剰に使うこともないけれど、全ての形が決まっていた昔の女性たちは大変だっただろうと想像する。

更に、白喪服から黒喪服への移行時期の女性たちは、特に大変だったのではないだろうかと。

今でこそ、葬儀での服装といえば黒喪服という回答が一般的だけれど、もともと日本は白喪服の国で、黒喪服に変わってからは、まだ100年ほどしか経っていないのだとか。

白はとても清らかなイメージを持つ色ということから、亡くなった方をお見送りする際の色として相応しいと思われていたようだ。

しかし、時代が変わり、生活の様々なシーンで西洋文化を取り入れる中で、日本も欧米の「亡くなった方を見送る際の服装は黒」というスタイルに合わせるようになったそうだ。

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今、葬儀の場に全身純白で参列したら非常識と見られるのだろうけれど、昨日までの常識が今日からは非常識、昨日までの非常識が今日からの常識、なんてことは古より、何度も繰り返されている。

例えば、車に乗ったら必ずシートベルをすることが常識化、義務化しているけれど、義務化されていない時代があったように。

今年は様々なことが新しい形に変わっているけれど、一喜一憂しすぎずに、できるだけ柔軟な気持ちで過ごしたいものである。

そのようなことを思いながら総点検を終えたブラックフォーマル一式をクローゼットに戻した日。

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苦手意識と恐怖感が呼ぶもの。

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30分ほどの時間ができたので、アルバム整理をすることにした。

ここ数年、暇を見つけては進めている作業なのだけれど、もうしばらく終わりそうにない。

終わらない原因は写真に見入ってしまうことだと分かってはいる。

しかし、アルバム整理にそれは付き物だという諦めもあってか、この作業のゴールは未だ見えぬままである。

この日は、外国で撮ったものを中心に整理していたのだけれど、高い場所から撮影したものが続いた。

高い場所に苦手意識を持つ私が撮ったとは思えないようなアングル写真の数々を仕分けていると、私の体が当時の記憶を覚えていたのか思い出したのか、座った状態であるにも関わらず、足がすくむような感覚が全身をすーっと駆け抜けた。

私の周りには、あの、足がすくむ感覚をワクワクする感覚だと表現する友人が複数いるけれど私は苦手である。

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そのような話を、仕事をご一緒した方に話したことがあるのだけれど、あの感覚は眩暈の一種だと教えていただいた。

眩暈と一口に言っても、それを引き起こす原因は様々。

私のように高い場所を苦手だと感じて起きる眩暈は、知覚神経と大脳の表面に広がる神経の繋がりによって起きるそうだ。

そして、苦手意識に恐怖感が加わると、恐怖感は平衡感覚が機能しなくなるよう働くそうで、より強い眩暈が起きるという。

他にも車酔いや船酔いのような眩暈があるけれど、こちらは三半規管と繋がっている知覚神経に何らかの刺激が加わることで平衡感覚を失い、眩暈が起きるそうだ。

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私は高い場所も苦手だけれど、知覚神経が過敏なのか、両方の眩暈が起きやすいように思う。

いつだったか友人たちと出かけた旅先で、トリックアートが集められた施設を訪れたことがある。

子供向けの施設だったこともあり、当初は行く予定ではなかった場所なのだけれど、時間調整と休憩を兼ねて入ってみることにした場所だ。

トリックアートを観たり、不思議な写真を撮ったりしながら園内を進むと、トリックアートとアスレチック的な要素を組み合わせたような体験型ゾーンがあった。

目から入る情報と体感とのズレに脳が混乱し、真っ直ぐ歩く、真上にジャンプするといった簡単なことができなくなるという状況に、意外なほど盛り上がったのだけれど、あの時の状況を思い返すと、苦手意識や恐怖心の度合いによって眩暈の現れ方も、大きな差があったように思う。

高い場所から見る景色は開放的で気持ちが良いものですけれど、場所や状況によっては、足がすくんで鳥肌のようなものが全身をスーッと駆け抜けていくことも。

そのようなときには、今回の足がすくむカラクリをちらりと思い出していただきまして、深呼吸をしてみてはいかがでしょうか。

苦手意識や恐怖感がほんの少し和らぎ、景色の見え方も少しだけ変わるように思います。

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自由で大らかな二六時中。

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ここ数日、思いを巡らせていることがある。

大したことではないのだけれど、頭の片隅にふわっと浮かんでしまうのである。

その日も、四六時中とまではいかないけれど、集中力が切れるタイミングを狙っていたかのように浮かぶものだから、思わず「その件は既にお腹いっぱいだ」と自分自身に突っ込んだ。

四六時中、そう言えばこの言葉、以前は二六時中だったそうだ。

江戸時代辺りまでの先人たちは、日の出から日没までを「昼」とし、日没から日の出までを「夜」とするという、ざっくりとした時間割りを使って暮らしていた。

これは、「不定時法」と呼ばれるもので、昼と夜、それぞれの時間を6等分にして、1日を12の時間帯に分けるのだ。

この12等分された時間帯のひとつひとつは、約2時間ほどなのだけれど、この約2時間を「一刻(いっとき)」と呼んでいたそうだ。

ただ、この不定時法を使った時間割りは、季節によって昼夜の長さが異なるため、分けられた時間帯(一刻)の間隔も変化することとなるのである。

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1日を細かく刻む時間割りで過ごしている私たちから見ると、とても不便に感じられる不定時法だけれど、電気を持たぬ先人たちにとっての主な灯りは昼間の太陽。

日の出、日の入りで昼夜を分ける生活は、至極当たり前だったのかもしれない。

このように「1日は12刻」という時間割りで過ごした先人たちの時代に、1日中を意味する言葉として使われていたものが「二六時中(にろくじちゅう)」である。

昼と夜という2つのパートの中に、それぞれ6つの小パートがあり、1日は12個の小パート(12刻)から成るため、2×6=1日で二六時中(にろくじちゅう)とのことだ。

しかし、世界と足並みを揃えるべく太陽暦を使うことが明治時代に決まったという。

こちらは、私たちが使っている昼夜を24等分する時間割りで「定時法」と呼ばれている。

この時間割りを使うと、1日を12等分していることを表す二六時中(にろくじちゅう)では計算がおかしくなるとのことで、1日が24等分になるように数字を入れ替え「四六時中(しろくじちゅう)」という言葉が生まれたのだとか。

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目にする景色は季節によって異なれど時計が刻む時間はいつも同じ。

そのような定時法に慣れてしまっている私たちが不定時法の日々を想像すると、不便さが先に思い浮かぶけれど、想像を更に深めると、自由で大らかで健康的なライフスタイルであるようにも思え、少しだけ羨ましくもある。

「二六時中」と「四六時中」、同じ1日を表している言葉だけれど、見えてくる景色は別物。

そのようなことを思い出した日。

四六時中という言葉に触れる機会がありました折には、今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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加熱用のチーズ、そのまま食べられる?

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最後に食べたのがいつだったか覚えていないほど久しぶりに、グラタンを作った。

グラタンの表面には、味見をしたい衝動を抑えながらカット済みタイプのチーズを散らした。

カット済みタイプのナチュラルチーズが袋詰めされたチーズがあるけれど、この手の商品パッケージの裏には、決まって「加熱してから食べてください」「加熱用」などと記されている。

しかも、この表記は年々大きくなり太字で強調されるようになったように思う。

純粋なチーズだけではない何かが混ぜ込まれているのであれば、加熱調理が必要だということも理解できるのだけれど、純粋なチーズのみだというのに何故加熱が必要なのだろうと思ったことがあった。

しかし、あまり深いことを考えぬままキッチンでチーズをつまみ食いすることもあった。

よく利用しているチーズ店の店主にそう話したところ、グラタンやピザ用に予めカットされているチーズの中には、そのまま食べない方が良いチーズが混ざっているものもあるので、より安全に、より美味しく食べるんどえあれば、記載通りに加熱したほうが良いとアドバイスいただいたのである。

今回は、そのようなお話を少しと思っております。

ご興味ありましたら、チラリ、のぞいていってくださいませ。

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どうしてこの手のチーズは過熱しなくてはいけないのか。

日本で加工、製造されている加熱用のチーズは、生のまま食べても問題ないほど安全に配慮されているものが多く、加熱を必要としている理由を強いて挙げるならば、加熱したときに最も美味しくなるよう計算してあるため「加熱」をすすめているようだ。

しかし、使用しているナチュラルチーズの中には、食中毒の原因となるリステリア菌が含まれていることもあるという。

リステリア菌とは、動物の腸内や環境下でよくみられる細菌で、食品を介して食中毒を引き起こすそうで、欧米ではナチュラルチーズなどによる食中毒が発生しているのだとか。

日本では耳慣れない菌ではあるけれど、日本でも数は少ないものの、乳製品や食肉加工品などからリステリアが検出されているとのことで、厚生労働省は食品を取り扱う事業者の方へ向けて、注意を促しているという。

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この菌、多くの菌が死滅するような環境にも耐えることができる厄介なものではあるけれど、十分に加熱することで死滅することが分かっているようなので、

安全に仕上げてくださっているものであっても「加熱してから食べてください」「加熱用」などと記されているものは、そのアドバイスに従うことで安全と美味しさがより増すようである。

加熱を必要としている理由が「美味しさ」だけでなはないことを知っていれば、国産、国内産、輸入チーズを問わず臨機応変に、チーズをより美味しく、より安全に召し上がることができるかと思います。

チーズを使う機会がありました折には、チラリと思い出していただきまして、必要であればしっかりと過熱してからお楽しみくださいませ。

口福な食卓の、何かしらのヒントにしていただけましたら幸いです。

関連リンク:

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お好きなスタイルでしゃれこんで。

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今年の夏も幾度となく甘酒のお世話になった。

聞くところによると、酷暑続きの昨今は冬の甘酒よりも夏の甘酒人気の方が高いのだとか。

酒粕から作る甘酒だけでなく、米糀から作られるノンアルコールタイプの甘酒の存在も知られるようになり、「飲む点滴」や「飲む美容液」といった触れ込みや、おしゃれなパッケージ、甘酒のアレンジレシピなどが功を奏したのだろう。

確かに、甘酒は冬のもの、白酒の代わりにお雛様の時季に口にするものといったイメージは程よく薄れ、一年を通して楽しむことができる一品として定着したように思う。

私が以前住んでいた自宅近くにあった神社では、時折、確か季節の変わり目の頃だったと記憶しているのだけれど、甘酒を振る舞ってくださる日があった。

一度だけ、その甘酒をいただく機会があったのだけれど、そこで、甘酒は古の頃「一夜酒(ひとよざけ)」と呼ばれていたことと、日本各地の神社には、「一夜酒(ひとよざけ)」に関する似たような言い伝えが残っていることを知った。

甘酒が「一夜酒(ひとよざけ)」と呼ばれるようになった理由は、古の時代も甘酒は半日ほどの時間で造ることができたからだといい、

日本各地の神社に残っている、似たような言い伝えとは、古の頃、神社の方々が神社に集まってくる神様たちをおもてなしするために、一夜にして大量のお酒「一夜酒(いちやざけ)」を造って神様たちに振る舞ったところ、とても喜んでくださったというものだ。

時代を経る中で、暑気払いや滋養強壮ドリンクとして手軽に楽しむことができる飲み物と化した甘酒だけれども、もとは御神酒のひとつだったようだ。

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その日は、そのような話を思い出しながら自宅にあった甘酒でシャーベットを作ることにした。

程よく凍らせた甘酒は、シャリシャリとした食感と口の中に広がるお米の優しい甘さが、晩夏のデザートにピッタリである。

冷凍庫には甘酒を、スマートフォンには食べごろを告げるタイマーをセットし、準備完了。

あとは出来上がりを待つだけだったけれど、意味もなく開けた冷蔵庫内にあった日本酒に目がとまり、つい「みぞれ酒」を欲してしまった。

みぞれ酒。

言葉が表しているとおり日本酒のシャーベットである。

日本酒は簡単には凍らない不思議な液体なのだけれど、冷凍庫でじっくり丁寧に冷やしたものをグラスに注ぎ入れると、シャーベット状に変化しながら流れ出てくるのである。

暑い夏の夜にこそテラスで「みぞれ酒」としゃれこみたいところだけれど、この熱帯夜では、あっという間に溶けてしまうため、重陽の節句やお月見の頃のお楽しみにとっておこうと思い止まり、冷蔵庫の扉を閉めた。

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アルコールあり、なしの違いはありますけれど、双方ともお米の国ならではの味であるように思います。

お嫌いでなければ、お好みや気温に合った楽しみ方で召し上がってみてはいかがでしょうか。

その際に、今回のお話の何かしらを思い出していただけましたら幸いです。

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アイ・ラブ・パン粉。

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待ち時間の手持ち無沙汰を埋めるべくネットサーフィンをしていると、素敵な画像が目にとまった。

その画像の出どころを探していると、様々なお料理レシピを紹介している外国の方のサイトに辿り着いた。

食器類のチョイスや盛り付けも素敵で、しばしサイト内を散策した。

レシピよりも目の保養目的が優勢だった私は、レシピには目を通さずにいたのだけれど、ふと目に飛び込んできたPANKOの文字に吸い寄せられてしまった。

PANKO、パンコ、パン粉。

そう、私たちが良く知る、パンを粉状に砕いて作られているアレである。

世界中でとまでは言い切れないのだけれど、私が暮らしていた英国で会ったお料理好きのマダムたちの中には日本のパン粉ファンが多くいた。

ホームパーティーのお手伝いスタッフとしてキッチンに入らせていただくと、「これ知ってる?懐かしいでしょ?」とPANKOと記されたそれを手渡されるのである。

PANKOはパン粉、もちろん知っているけれど、懐かしいでしょと言われても、どこをどう懐かしめばいいのか良くわからぬまま、一応愛想よく「懐かしい」と答えていた。

日本人が外国の調味料に惚れ込んで使うことと同じことなのだろうけれど、米粉ではなくパン粉である。

美味しいパンが豊富にあるヨーロッパにも呼び名は違えど、私たちがパン粉と呼んでいるものに近いものはある。

それなのに、わざわざ日本製のパン粉を使うのは何故だろうと素朴な疑問が湧いた。

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聞けば、外国のパン粉は様々なパンを出来るだけ細かく砕いたもので、これで作ったカツは日本のパン粉で作ったものと比べると食感が硬く、時間が経つと油でベタッとすることがあるのだそう。

一方、日本のPANKOを使って揚げ物を作ると、衣に適度に空気が含まれてソフトな食感であるにも関わらず、サクサクとした食感とパン粉の香ばしさが残っており、時間が経ってもベストに近い状態に保たれるというのだ。

当時の私は、そのような熱弁を前に、パン粉とはそのようなものではなかとでも思っていたのだろう。

「PANKOは日本生まれの食品じゃない、知らないの?」と続いた。

「ん?そうなの?」と言うリアクションを返すと、「信じられない……」とオーバーリアクションで驚くのである。

だから、日本のスーパーでは数種類のパン粉が並んでおり、用途に応じたパン粉を選ぶこともできると言うと使い比べたいと興奮気味に言うのである。

あちらで購入すれば早いのだけれど、当然輸入品なのでパン粉にこのお値段!?という値が付けられているため、日本から送ってもらう荷物の中に数種類のパン粉を詰め込んでもらった記憶がある。

その後、そのパン粉をどうしたのか忘れてしまったけれど、パン粉は日本生まれの食品で、その品質は世界レベルであることは、私の記憶にしっかりと刻み込まれている。

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そのようなことを思い出しながら、そのお料理レシピのサイトを眺めていたのだけれど、その方が愛してやまない調味料リストの中には、しっかりと「PANKO」の名が記されていた。

しかも、「I love PANKO.」と絶賛である。

ハイクオリティーのものに慣れすぎている私たちには、今一つピンッとこないことだけれど、パン粉のサクサクを味わえることはハッピーなことのようでございます。

パン粉の何かしらに触れる機会がありました折には、今回のお話をちらりと思い出していただけましたら幸いです。

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お気に入りの白は、あのチカラを借りて白さをキープ。

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白シャツや白いブラウスは、どんなに丁寧にお洗濯をしても、再び着用シーズンを迎える頃には何となく色が変わってしまったような、劣化したような気がすることが多かったように思う。

そして、いつの間にか、白シャツや白いブラウスはそのようなものだと諦めてしまっており、奮発したいと思えるようなものに出会っても、ほどほどの塩梅で止めておこうとセーブする自分がいる。

そのような話を、随分と前に住んでいた自宅近くのクリーニング店で話したところ、白シャツや白いブラウスは重曹によるお洗濯をするときれいに落ちるだけでなく、黄ばみ予防にもなるというアドバイスをいただいた。

その後、同じような内容の話を幾度か見聞きする機会があり、現在の私は、お気に入りの白シャツやブラウスは迷わず重曹でお洗濯をしている。

少しずつ秋の装いを意識し始める頃ですので、今回は、このようなお話をシェアさせていただければと思います。

ご興味ありましたら、ちらりとのぞいていってくださいませ。

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そもそも、こまめにお洗濯をしているというのに黄ばむなんて納得できない、と思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。

少なくとも私は、そのように感じておりました。

この手の黄ばみは、汗と一緒に分泌される皮脂が体とシャツが触れ合うことによって、生地繊維の奥に入り込んだまま酸化することで起きています。

それならば、全てのお洋服が黄ばんでしまいそうな気がしますけれど、中には黄ばみにくいものも存在しています。

この、黄ばみが起きるか否かという違いは、皮脂を溜め込みやすい性質を持った生地なのか、溜め込みにくい性質を持った生地なのかという違いだといいます。

白シャツや白いブラウスなどを着用した後は、皮脂が通常のお洗濯では洗いながすことができない生地の繊維奥に入り込んでしまう前に、適切なケアでどこまで落とすことができるかが、黄ばみの無い白をキープするポイントです。

ここで落としきれずに残った皮脂は必ず酸化しますので、重曹の性質を利用して黄ばみ落としと黄ばみ予防を同時に行います。

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用意するものは、【1】重曹と【2】40度前後のお湯、【3】通常のお洗濯で使用している洗剤の3つです。

洗剤は一般的な洗濯洗剤、もしくはおしゃれ着専用洗剤などの中から、お洋服に適したものを用意します。

重曹は水でも使うことができますし汚れも落ちはするのですが、お水では効果が落ちてしまうため、気持ち熱めのお湯を準備します。

40度前後ですのでお風呂に入るときの温度を目安に調整すると良いかと思います。

お湯の準備が整ったら、シンクにお湯を張り、洗剤と重曹を入れます。

洗剤と重曹の投入量の目安は、洗面器1杯程度のお湯に対して洗剤は適量を、重曹は大さじ2杯ほど入れます。

汚れがひどいと思われる場合は、この液体に白シャツや白いブラウスを1時間ほど浸け置きします。

普段と変わらぬ汚れ具合であれば、おしゃれ着を洗う用量で押し洗いします。

後は、しっかりとぬるま湯ですすぎ、柔軟剤を溶かし入れたシンクで柔軟剤を染み渡らせ、2回ほどすすぎ洗いをして、水気をタオルで取りのぞくか、洗濯ネットに入れて洗濯機で30秒から1分程度の脱水をして、陰干しを行います。

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このような重曹ケアを行うことで白シャツや白いブラウスは、安心して長く楽しむことができます。

その時々で旬なデザインのものを楽しみ抜いて新しいものに買い替える場合は別ですけれど、大人レディになりますと、デザインだけでなく質にも拘った自分好みのお気に入りを長く楽しみたいと感じる方も多いものですので、

自分のための素敵な1着に出会うことができた折には、このような方法で大切に思いっきり楽しんでみてはいかがでしょうか。

白シャツや白いブラウスの白さをキープする方法はいくつかありますけれど、重曹を常備している方も多いかと思いますので今回は、こちらの方法をシェアさせていただきました。

何かしらのヒントやキッカケにしていただけましたら幸いです。

※重曹を使ったお洗濯で変色することは少ないと思いますけれど、念のため、洗濯表示の確認と目立たない場所での確認をしてからお試しください。

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糠漬けキュウリとキューカンバーエキス。

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今春の頃だったと思うのだけれど、ふと、新しいことにトライしてみたくなった。

しかし、世の中はコロナウイルスのことでてんやわんやしており、トライできることにも限りがあった。

そこで、自宅で簡単に始められることの中から、以前から興味を持っていた糠漬けにトライすることにした。

自分のことでありながら、いつまで続くだろうかと思いながら漬け始めたけれど、想像以上の手軽さに助けられ、今も何とか続けられている。

続けられているとは言え、糠床デビューから4カ月ほどのひよっこゆえ、糠を入れているのは体験キットに付いてきたジッパー付きの袋のまま。

気分としては、糠床を想像させないような、おしゃれな糠床入れを使って糠漬けを作りたいのだけれど、まだ続けられる自信も覚悟もないのだろう。

味気ない袋に野菜を押し込む日々である。

この日も1日後に訪れる、美味しい糠漬けをぱりぽりと音を立てて味わう口福タイムを想像しつつ、野菜を取り上げた後の糠床に新しい野菜を押し込んだ。

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夏のにおいがする立派なキュウリを押し込みながら、ふと、イギリスの日用品でよく目にしたキューカンバー(きゅうり)の表記を思い出した。

私は肌が強くないので素肌に使うものは日本から送ってもらうなどしていたのだけれど、全てをそうしていたのでは、それはそれで生活が息苦しいものになってしまうため、あちらのお国のもので自分の肌に合うものを探すこともしていた。

このような話をすると「大変だね」と言われることもあったけれど、当の本人はそれほど大変だとは感じておらず、寧ろ新しいものを知る機会として楽しんでいたように思う。

そこで気が付いたのだ。

キューカンバーエキスと記された商品が多いことに。

ボディーソープやシャンプー、ボディーローションや化粧水、香水と、とにかく様々なものに使われていたのだ。

キューカンバーエキスって本当にキュウリエキスですか?あの、野菜のキュウリ?と幾度か店の店員に尋ねたのだけれど、皆、真顔でそうだと答えるのだ。

中には、「このアジア人、変なことを聞いてくるわね」といった表情と口調で答えられることもあり、この国ではキュウリが大活躍している、と思った。

よくよく聞けば、瑞々しい爽やかな香りを加える際の原料としてキューカンバーエキス(きゅうりエキス)が使われているとのことだった。

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私が恐る恐る手に取ったのは、キューカンバーエキスが入ったボディーソープだった。

しかも、キューカンバーの香りと記されているではないか。

心の目を丸くしつつも、信頼できる成分とお店だということが決め手となり、そのキューカンバーの香りがするらしいボディーソープをいただいて帰ることにした。

使ってみた感想は、爽やかなグリーン系の香りで、好き嫌いが出にくい万人受けする香りという印象を受けた。

キュウリと聞いて連想する夏の香りや青臭さとは無縁で、それからしばらくキュウリの香りに夢中になったことは言うまでもない。

物は試しと言うけれど、本当にそうである。

一歩を踏み出してみると、自分の頭の中にある固定観念がゆるりと解れていき、新しい世界や感覚がパーッと広がるように思う。

例えそれが、キューカンバーエキスのように小さなことであったとしても、である。

日本では、あまり頻繁に目にしないキューカンバーエキス表記ではありますけれど、機会がありました折には、物は試しでございます。

アレルギーなどが無ければ、キューカンバーエキスの爽やかな香りを体験してみてはいかがでしょうか。

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天使の集会と天使の取り分。

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道すがらにあるお宅の玄関先には、ヨーロッパの庭園が似合いそうな天使のオブジェが並んでいる。

特殊なコーティングが施されているのか手入れが行き届いているのかは分からないけれど、いつ見ても純白の輝きを放っている。

他人様の玄関先へ、度々視線を向けるのは失礼な気もするのだけれど、とても楽しそうな雰囲気を放つ天使のオブジェなので致し方ない、と思うことにしている。

その天使のオブジェ、私が初めて目にしたときには一体だったけれど、気づけば少しずつ数が増え、途中減ったりもしながら今では6体の大所帯である。

その日も、見様によっては猫の集会にも見える天使の集会を視界の端に捉えつつ、そのお宅の前を通り過ぎた。

天使が増えたり減ったりする様子を思い返していると、ふと、エンジェルズシェアという言葉を思い出した。

この言葉は「天使の取り分」「天使の分け前」と訳されているのだけれど、背景には微笑ましいストーリーがある。

今回は、そのようなお話を少し、と思っております。

ご興味ありましたら冷たいお飲み物片手にお付き合いくださいませ。

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私がこの言葉に出会ったのは、スコットランドにある、とあるバーである。

スコットランドという土地柄なのだろう。

カウンターの奥には、スコッチウイスキーのボトルがズラリと並んでいた。

そこで、ウイスキーのうんちくを肴にウイスキーを飲み比べる機会があった。

自分の舌に合うか合わないか、好きか嫌いか、感じたままを言うくらいしかできない私は、説明を聞いたところで意味を理解することはできなかったけれど、好きなものを熱く語る人たちを眺めながら口にするお酒は無条件に美味しく、その時間と空間はとても楽しいものだった。

その訳が分からぬ会話の中で、唯一、記憶に残っているのがエンジェルズシェアという言葉である。

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お酒を木樽に貯蔵しておくと、貯蔵期間中にアルコールや水分が蒸発し、お酒の量が減少するのだけれど、この減ってしまったお酒はエンジェルズシェア(天使の取り分/天使の分け前)と呼ばれている。

天使がどれくらいの量のお酒を取り分とするのか。

ここは、ウイスキーが造られる土地の気候によっても異なり、ウイスキーの仕上がり具合も、湿度が高い土地では水分よりもアルコールの蒸発が多く、熟成が進むにつれてアルコール度数が下がるという。

一方、乾燥している土地や寒暖差が大きい土地では、アルコールよりも水分の蒸発が多いため、アルコール度数が高いお酒が出来上がるそうだ。

このような違いはあるけれど、エンジェルシェアに共通していることは、天使の取り分(天使の分け前)は、どうしたって返ってこないということである。

だけれども、それは美味しいウイスキーを一緒に造ってくれた天使たちへのお礼でもあるのなので、惜しくはないのだとか。

製造過程で起こる現象に天使を登場させるなんて、いいセンスである。

おかげで、この話だけは私の記憶にすんなりと定着している。

ウイスキーを召し上がる機会や天使を目にする機会がありました折には、今回のお話をちらりと思い出していただきまして、ウイスキーの製造に携わった天使たちを想像していただけましたら幸いです。

天使の集会を目にし、そのようなことを思い出した日。

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油淋鶏と雨の日の換気。

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某日である。

油淋鶏用に下ごしらえを済ませた鶏肉を、熱々の油がひたひたに入ったフライパンに投入した。

通常であれば、鶏肉をそのままじっくり焼いていくのだけれど、この日は鶏肉を掴んでいた指先がうっかり油の中に入ってしまった。

指先からジューッと妙な音がしたものだから、鶏肉から慌てて手を離し水道水を流しあてた。

水道水では間に合わず、保冷剤との合わせ技で指先を冷やすも、思いのほか火のとおりが早かったのか皮膚の奥へと熱が突き進んでいくような感覚があった。

結局、その夜は保冷剤を手放すと痛くて眠れそうになく、常備している冷えピタを指に巻き、その巻いた指を一番大きな保冷剤の上に乗せた状態で眠ることにした。

保冷剤を横たえて眠る夜、このときばかりは熱帯夜で良かったと思った。

幸いにも翌朝の指先からは熱も傷みも消えていた。

油に浸かった部分の皮膚が若干硬くなってはいたけれど見た目も問題なく、事無きを得た。

随分と久しぶりに起きたキッチン惨事だったけれど、あの指先から聞こえてきたジューッという音と熱が皮膚の奥へ入っていくような感覚は、まだ指先に残っている。

揚げられる食材の気持ちを疑似体験したような、していないような妙な感覚である。

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前夜の出来事を、そのように思いながら気持ち新たにデスクに向かっていたのだけれど、急に激しい雨が降り出した。

ゲリラ豪雨とまではいかないけれど、それなりに力強さを持った雨だ。

開け放っていた窓からは、辺りの熱気を抱え込んだような生温い雨の匂いが流れ込んできた。

雨が降りはじめると反射的に換気中の窓を閉めてしまうことがあるけれど、家の中に雨粒が入ってこないような状況であれば、雨降りの日も換気をした方が良いという。

家づくりのプロからの受け売りだけれども、雨の日も窓を開けて換気するとカビの原因の多くを取り除くことができるそうだ。

カビが発生する原因には湿度の高さや埃などに意識が向くことが多いけれど、空気の流れがなく空気の移動がない環境もカビを発生させやすいため、雨の日も窓を開けて空気の流れを作ると、湿気などが移動する空気に乗って外へ流されるという。

この状況を作るコツは、窓を1カ所のみ開けるのではなく、2、3カ所の窓を同時に開け、可能であれば各部屋のドアなども開け放つこと。

こうすることで、大きな空気の流れを作ることができ、家中の湿気や不要なにおい、古くなった空気などがキレイさっぱり入れ替わるようだ。

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梅雨の長雨期は過ぎてしまいましたけれど、そろそろ秋の長雨期に突入致します。

雨の日の換気は躊躇いがちですけれど、室内のコンディションを整えるためにも、気分転換にも、様々なウイルス対策にも、程よい換気を是非。

そして、ワタクシのように熱々に熱した油で自前の指を揚げてしまわぬよう、ご注意くださいませ。

本日も、柊希にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

長月もココロ晴れやかに過ごせますように☆彡

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