幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

不安を感じるという事は、本能がちゃんと機能しているということ。ケセラセラ、ケセラセラ。

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物事に行き詰った時や、自分の未来が定まっていないように感じた時、ついつい、そのような感情に留まって執着してしまう事がある。

一生懸命すぎて、肩に力が入りすぎてそうなってしまうのだ。

未来を予測することは不可能だと分かってはいるものの、自分の過去や周りの状況など、今の自分が得られる情報をかき集めて未来を想像してみようとするのだ。

人は得体の知れないものに不安や恐怖を感じるもの。

だから生き残る為の手段として遺伝子に組み込まれた、情報を収集する能力や、そこから推測する能力がある。

ある種サバイバル的な、本能的な、感覚とも言えるだろうか。

私は不安に感じる事があると、「私の本能、ちゃんと機能している。」と思う事にしている。

そうすると、ほんの少し自分を落ち着かせることができるのだ。

未来に不安を感じるという事は、生きているという事で極々当たり前の感覚。

だけれども、そのかき集めた情報を通して想像した世界だけに囚われていたら、その気持ちでしか自分の世界をみる事ができなくなってしまう。

物事はケセラセラだ。

なるようになるのだ。

※ケセラセラは、スペイン語で「なるようになるさ」という意味で使われます。

これは、投げ遣りになることでも、諦めることでもない。

なるようになる、とは「良いように成ってゆく」という事だと私は思っている。

ふっと肩の力を抜いて、自分や自分の日々を信じることのように思うのだ。

自分の事を信じられると、自分の重ねる日々に対しても信頼が生まれるはず。

物事を「ケセラセラ」と、おおらかに構えられるようになると、自分の日々が窮屈なものではなくなり、目の前の景色が変わっていく。

 

こんな経験、ないだろうか。

物事が上手くいかずに、「どうしてだろう?」「なんでだろう?」「どうすればいいのだろう?」と悩み考え続けた末、

悩む事に疲れて「どうでもいいや」と一旦、その問題から離れて意識を少し他所へ向けた途端に、思いもよらない流れで問題が解決したり、物事が動きだした、というような事。

そういう流れになると「考えて損した。」「悩んで損した。」と思ってしまうけれど、「ほどよい加減がいい、いい加減がいい」とは良く言ったものだと思う。

 物事が自分の思うように運ばないと感じた時は、自分を信じて「ケセラセラ」

そう呟いてまいりましょ。

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