幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

今の自分が感じている事は本当に今の自分が感じていること?

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美術館巡りが好きな友人と美術館巡りに興味はないという友人がいる。

私は展示内容によって好き嫌いが分かれるけれど、美術館は好きだ。

美術館に足を踏み入れた時の、ひんやりとした空気感がいい。

人もまばらで作品を独り占めできる時間が長くとれる時は心の中でガッツポーズをする。

天井が高くて、だだっ広い空間に展示品がぽつり、ひとつだけ展示してあると、

作品を楽しむ前に、その贅沢な空間使いに感激してしまう。

つい、背伸びをしてみたくもなるけれど、

そこは大人なのでグッとがまんする。

その代わり、その空間を縦横無尽に歩き回って気が済むまで作品を眺めるのだ。

 

作品の横に説明文ような物が書かれている事がある。

作品によっては、時代背景や作者の特徴や思いなどが簡潔に書かれていて、

それを知った上で見る作品はまた違った見え方をするのかもしれない。

だけれども私は、一番最初に目にした時に五感で感じた事を大事にしたいと

無意識に感じているのかもしれない。

ほとんど、説明文を読まない。

 

理由がどうであれ目に留まる物は留まるし、

留まらないものは留まらない。

説明を読んで、その作品に対しての理解は深まるのだけれども

芸術品に関して純粋に「好き」か「嫌い」か「どちらでもない」かはあまり変わらない。

と言うと、美術館巡りに興味のない友人が驚いた顔をした。

 

「え?読まないの?」

「うん」

「読まないと分からないでしょ」

「ん?分かる、とは?」

 

噛み合わない会話が続き、なかなか会話がまとまらない事に痺れを切らしたのか

「美術館巡り好き」な友人が会話に入ってきた。

 

彼女は作品を見て説明文をきっちり読んで、

色々と理解した上で、もう一度作品を見るのだと言ってから

私たちを分析し始めた。

彼女の分析によると、

「私」は、説明文を読むという作業を気に入った作品のみに行い、

「美術館巡りに興味のない彼女」は、

作品の背景を理解しないといけないというマイルールがあって

それを楽しいと感じないから興味がないのだ、と。

「「おぉーーーーー」」

分析された側の私たちは顔を見合わせて同時に声を漏らした。

 

作者の意図や思いというものは存在するのだろうけれど、

第三者によって書かれた説明文の全てが正しいとも限らない。

作者が既に他界している作品などは特に、そうだ。

それならば、自由な発想で何かを感じるだけで十分だ、と私は思う。

何も感じられない、それもある種の感覚だ。

一見、堅苦しいと感じる世界も裏側から見てみると自由だったりもする。

私たちが触れているものは表裏一体である事が多いのかもしれない。

 

私は美術館に長居してしまい閉館時間が迫ってくると、

存在を忘れらて施錠されやしないかとドキドキする、あの感じも悪くないと思っている。

と言うと、そんな馬鹿な事は映画の中でしか起きないからと笑われた。

 

人の感じる力は面白い。

頭が固くなって決めつけてしまっていたり、

自分の経験が答えを出し終えてしまっていたりするのだけれど、

時々、今の自分が感じている事が

本当に今の自分の感じていることなのか見てみることも必要なのかもしれない。

次に美術館へ行ったら、

説明文を読んでみようかと思っている。

もしかしたら、私の気持ちが反応しなかった作品の裏側を覗けるのかもしれないのだから。

  

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