久しぶりに新しい本を読みたいと思ったのだけれども、
その気持ちに頭と体がついてこない。
こういう時に何となく手に取るのは先人たちの名言を集めた名言集。
名言だけが載っているだけのシンプルなものなので
時代背景も、名言を残した人の事でさえも調べなければ分からない。
それ故、その残された言葉の真意をどれだけ受け止められているのかも分からないけれど
自由にその時の気持ちで受け取ることができるので
シンプルにまとめられたそれを、時々捲ることがある。
その日も仕事の合間の休憩時間に
飲み物と共に名言集をパラリ、パラリと捲っていた。
何のことだか?と首をかしげてしまうような、
名言(らしい言葉)をいくつも目で追った。
この様な言葉とも出会いのタイミングというものがあって、
今までは何も心に響かなかったのに、
ある日突然、胸の中をえぐられる様にして出会う言葉もあれば、
すーっと静かに深く胸の奥へ浸透していくような言葉もある。
「(今日は何も響かない、少し疲れているのかな。)」
そう思った時に出会った言葉がある。
「人は女に生まれるのではなく、女になるのだ」
フランスの作家で思想家のシモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉だ。
この言葉に私はうかつにもドキッとさせられ、深く頷かされた。
女性は年齢ではなく、きっと一生をかけて女性になるのだろう。
だとしたら、今の私はどの辺りまで、と思って直ぐにその思考を止めた。
自分に対して、あれやこれやとジャッジを下すのは止めて
もっともっと女性であることを欲張って楽しもうと。
女性は様々な肩書を同時に求められることが多い。
妻であり、母であり、嫁であり、娘であり、姑であり、
そこに会社、地域、子どもの学校などでに役割を兼任することだってある。
女性を楽しむこと、日々を楽しむことがいけない事のように考えられた時代もあっただろう。
今もまだ、そのような空気が全く無くなった訳ではない。
だけれども、自分の人生に責任を取ることができるのは自分だけ。
女性を楽しむことは、自分のことを大切にするということ。
役割と楽しむことは両立できるし、両立させていいと思うのだ。
そして、世の中が思っている以上に
女性が女性を楽しむことは、
とても大切なことのように感じるのです。
日常の中には、意味がない、とか
面倒だ、とか思ってしまいたくなる事もあるけれど
意味が無いことや面倒なことも
楽しめたり、クスッと笑ったり、くだらなーいと大笑いしたりしながら通り過ぎる。
そのようなしなやかさを持つことができたのなら、
それは人生を丸ごと楽しむコツを手にしたようなもの。
女性の皆さん、もっともっと「女性であること」を楽しんでいきませんか。
一人で何役もこなせてる私たちですもの。
「女性を楽しむ私」という役が増えても大丈夫だと思いませんか?
「人は女に生まれるのではなく、女になるのだ」
シモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉でした。