幸せのレシピ集

cawaiiとみんなでつくる幸せのレシピ集。皆様の毎日に幸せや歓びや感動が溢れますように。

日常の中に落ちているキッカケの種を見つけたら、思い切って触れてみませんか。

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同じ質問ばかり受ける、そのような偶然が時々おこる。

私のここ3日間が正にそれ、だ。

色々な所で言葉に携わっていると度々受ける質問というものがある。

そして、その質問の冒頭のほとんどに、

「子どもの頃からたくさんの本を読まれてきたのだと思うのですが……」や

「読書がお好きだと思うのですが……」

という前提が設けられることの多いこと。

 

その様な方もたくさんいらっしゃるけれど、

私自身は決してそうではない。

子どもの頃は、あまり本を読まない私に母親がヤキモキしていた程だ。

ひと通りの物は仕方なく読んではきている(読まされたと言った方が私の感覚に近い)。

だけれども、面白いと感じたものは極々僅かで

読書好きになるキッカケになるには程遠いものだった。

この様な返答をすると、質問者は「そんなはずはない」と言う。

だけれども実際に私の家族たちの共通認識の中に、

柊希=読書好きという方程式はない。

 

ただ、全く読まなかったのか、読まないのか、と言われれば少し違う。

自分が興味をもったことが書かれているものは

片っ端から読み漁る癖があったし、それは今も変わらない。

子どものものであろうが、大人のものであろうが

自分のセンサーが反応したものは手に取ってみる。

手にしたそれらが「読書」と呼ぶには少々癖のあるもので、

一風変わったものが多かったこともあり

本好きだというイメージは定着してこなかったようだ。

 

だから今でも、

「本はお好きですか?」と聞かれると、

「好きです」と答えていいものか、少し躊躇う私がいる。

返答に困ってしまう私は「活字好きです」と答える事が多い。

 

大人になるにつれ、

子どもの頃に大人たちが「本を読んだ方がいい」と口にしていた理由が

実感として理解できるようになった。

だけれども、本を読んだ方がいいとストレートに言われるよりも

様々な物事に興味を持ちやすい環境の中を泳がせてくれた方が

子どもは自分から本を手に取るようになる気がするのだ。

 

例えば、おもちゃ箱の中におもちゃが入っていて

少し離れたところから

「おもちゃ箱の中のおもちゃで遊んでいいよ、面白いよ」と言われるよりも

おもちゃ箱から少しだけ、遊びかけのおもちゃが出されている方が、

出ているおもちゃをキッカケにして、

自分からもおもちゃ箱の中を覗きたくなってしまうようなイメージ。

 

最近では漫画で読む歴史本などが多いけれど、

仮に「坂本龍馬」の漫画本と文庫本があったとする。

子どもの横でパパやママがそれらを読んでいる所を目にする。

子どもは、いつだって大人の世界を覗きたがっているものだ。

そして最初は、手に取りやすい漫画に手を伸ばすかもしれないけれど

パパ、ママが読んでいる文庫本にも興味が湧く。

同じことが書いてあるのに、どうして両方読むのかな?という興味も湧く。

「漫画では描き切れなかった事が本の中に書かれているからね~」

なんてニンマリ顔で言われたら

何か特別な秘密が隠されているようにも思えて

知らない漢字や言葉だらけでも

子どもは自分も知りたい、それも読みたいと思ってしまうのではないだろうか。

言わば、おもちゃ箱の中身をチラ見させられている状態だ。

 

読書に限らず、

小さな子どもに限らず、

ちょっぴり大きくなった子どもにだって、

大人にだって

キッカケは大切だと思うのです。

キッカケは魔法の種。

そして日常には色々な種が落ちているような気がします。

まずは、種に触れてみることから。

 

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