私は携帯の着信音をあまりオンにしない。
いつでも、どこでも、誰からでも連絡が来るという状況が少々苦手だ。
と言いつつ、ネット環境も電話機能も便利で頼りにしているし、
私にとっては色々な意味で手放せない存在なので肌身離さず携帯している。
矛盾しているようにも思うのだけれども
自分のペースを乱されたくない気持ちの方が勝ってしまうのかもしれない。
その日は、珍しく携帯の着信音をオンにしている時に電話が鳴った。
友人からの着信に出ると、声の主は友人ではなく友人の子どもだった。
こちらからの問いかけへの返事もそこそこに、
「ヴァンパイア」と「ドラキュラ」は同じ人?
血を吸うお化けだよね?
どうして名前が二つあるの?と聞いてきた。
いつもの事なのだけれども、
「(そんなこと、私じゃなくてママに聞いておくれよ)」と一瞬思うも、
この答えは既に私の中にあったので、答えることにした。
「ヴァンパイアの中にドラキュラさんって名前のヴァンパイアが居るんだよ。」
きっと頭の中で私が言った事を整理しているのだろう。
しばしの沈黙があった。
「同じひと?」
「んーちょっと違うかな。学校にはたくさんの小学生がいるでしょ?
小学生の中には、田中さんも居れば、佐藤くんっていう名前の小学生もいるでしょ?」
「うん」
「それと同じで、血を吸うヴァンパイアがたーくさん居て、
その中にドラキュラさんっていう名前のヴァンパイアが居るの。」
「わかったー。ドラキュラは名前なんだね。」
「うん。(最初に、そう言ったんだけどね)。ヴァンパイアは英語で生きている人の血を吸う怪物のことだけど、日本語では何て言うと思う?」
「血をすう人!」
「(ごもっとも)、そうそう血を吸う人のことなんだけど、吸血鬼って言うんだよ」
「へー、じゃぁドラキュラさんは日本語でなんていうの?」
「(そうきたか!)田中さんは英語でなんて言う?」
「(カタコト発音で)タッナカサーン」
こういう時だ。
自分が常識だと思っていることは自分がそう思っているに過ぎないことがある、
人の数だけ物の見方や感じ方、受け取り方がある、と感じる瞬間。
自分の誘導が甘かったことに苦笑しつつ、
「ドラキュラさんは、ドラキュラさんだよ」と答えると
「そっかー」と爽やかな返事が返ってきた。
電話が急に遠くなったような気がして話しかけたら
既に電話は切られていた。
「(あはは……)」
数分後、携帯電話のロックをし忘れている隙に
子どもが勝手に電話してしまったのだと慌てた感たっぷりの
いつものメールが友人から届いた。
環境が人を作るとはよく言ったものだ。
知っていることも、知らないことも、
こうして友人の子どもが抜き打ち検査のように問いかけてくるものだから
ぶれない記憶として私の中に定着していく。
今日もまたひとつ、このようにして。
それにしても、カタコトでタッナカサーンって。
それは、反則でしょ、と思い出し笑いしつつ、
吸血鬼ドラキュラの原作者の名前は何だったかな?とネット検索をするのであった。
※ちなみに「吸血鬼ドラキュラ」はアイルランド人作家のブラム・ストーカー氏が発表した小説でした。
画像出典:https://jp.pinterest.com/
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