気温も上がりはじめ、すっかり春めいているこの頃。
時折感じる太陽の熱い眼差しは、ほんの少し夏の匂いを先取りしてきたような熱を含んでいるからか、体がヒンヤリとしたものを欲しておりました。
さて、何しようかと考えを巡らせまして、この日は、「ところてん」を味わうことにしたのです。
皆さんは「ところてん」を召し上がるとき、酢醤油派でしょうか?黒蜜派でしょうか?
今は両方のお味も全国区のような気がしていたのですが、少し前まで黒蜜は、関西地区のお味だったようです。
関西では、「ところてん」よりも前にくずきりを黒蜜で食べていたこともあり、食感などが近い「ところてん」も黒蜜で食べるようになったのだとか。
私は、子どもの頃は酢醤油に和からしを少し入れ、ゴマや青のりをぱらぱらと振りかけて食べていたのですが、黒蜜で食べるところてんの味を知ってからは黒蜜派でございます。
この日は家の中に黒蜜が無かったので黒糖で作ることに。
キッチンに黒糖の甘香ばしい香りが漂う時、甘い黒蜜を「ところてん」にたっぷりかけて頂く、あの瞬間を想像し、何とも言えぬ幸せに包まれるのもいいものです。
「ところてん」は、口にした人の体の中をきれいにお掃除してくれる頼りになる食材だということは皆さんご存知かと思いますので、今回はちょっと視点を変えて、
「ところてん」と深い関係にある寒天の誕生秘話をお届けさせていただければと思います。
いや、既に秘話ではないのですけれど、そのような面持ちで気分を盛り上げてまいりたいと思います。
私たちが知っている寒天、実は、ところてんの変形でございます。
そして、ある職人の行動によって出来た偶然の産物だったのです。
寒天の誕生は徳川家四代目の徳川家綱の時代だったのだそう。
家綱さんと言えば、三代目に家光、五代目に綱吉という、何かと目立つお二人の狭間で少々影が薄うございますが、なかなか聡明な方だったようでございます。
その家綱さんの時代に、参勤交代で江戸に向かう途中だった薩摩藩の島津家が、京都にあった、あるお宿に泊まったのだそう。
お宿のご主人は、張り切ってご馳走を作り、島津家家の皆様をもてなしました。
いつの時代もそうなのですが、張り切っておもてなしをするのは楽しくもあり、神経も使うものでもあり、気持ちがピンッと張った状態で過ごすことになります。
そして、お客様がお帰りになると、そのピンッと張られていた糸がプツンッと切れて抜け殻のようになってしまうことも、そう珍しいことではございません。
このお宿のご主人も、島津家の皆様がお宿を旅立たれた後、しばらく抜け殻のようになったようなのです。
自慢の腕をふるったお料理の中には、もちろん「ところてん」を使ったお料理もありました。
そして、お出しせずに残ったところてんは、ご主人が抜け殻状態になってた間、外に放置されたままでございました。
ある日、鋭気を取り戻したお宿のご主人が、その「ところてん」の変わり果てた姿を目にするわけですが、しっかりと自然乾燥されており、氷柱の如く白くて美しい乾物と化していたのだそう。
姿を変えた「ところてん」に職人魂を刺激されたのか、お宿のご主人は色々と試したのでしょう。
すると、乾物化した「ところてん」も美味しく、使い勝手もいい事を確信するのでございます。
そしてこの、「ところてん」の乾物を隠元(いんげん)禅師という方が試食するのですけれど、
隠元(いんげん)さんもまた、この「ところてん」の乾物を気に入ります。
そして、精進料理の食材としても使うことが出来ると奨めてまわったのだそう。
その時に「ところてん」の乾物に名前が無いことに気付き、「寒空」や「冬の空」といった意味を持っている漢語の「寒天」に、寒晒心太(かんざらしところてん)の意味を込めて、「寒天」と名付けたとのことでございます。
失敗は成功のもと、と言われておりますけれど、いつの時代も、諦めなければ何かしら得ることができるようでございます。
もし、寒天を召し上がる機会がありましたら、このような寒天の誕生秘話を思い出しながら味わってみてはいかがでしょうか?
今回は寒天のお話でございました。
最後まで、お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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