眠い目をこすりながら机上に広げた資料を片っ端から捲る。
この日の机上を占領していたのは翻訳者が異なる万葉集や源氏物語に
学生の頃から愛用している古語辞典だった。
今は何でもインターネットで調べられるのだけれども、
あの薄くて丈夫でしなやかな肌触りの紙で出来た辞書を
ぺらっ、ぺらっと捲りたくなる時があるのだ。
そのような中、目にとまったのは竹取物語に関する内容だった。
「今は昔、竹取の翁といふものありけり」で始まる竹取物語(かぐや姫)は、
日本で最も古い物語です。
最も古い物語だと言われているだけあって、
万葉集や源氏物語の中にも竹取物語(かぐや姫)は登場します。
軽く1000年を越える歳月もの間、
語り継がれている物語なのですが作者は未だに不明のままです。
そして、物語というものが世の中に存在していなかった時代に、
作者が何をきっかけにしてこのような物を書いたのかさえも不明なのです。
不明なことが多すぎるため、
長い歳月の中で様々な説が飛び出していますが
それだけ、どこか人を引き付けるものがあるお話しということなのでしょうね。
私たちが子供の頃に触れた「かぐや姫」は、
この最も古い物語と言われている竹取物語を、
子どもたちでも楽しむことができるような形にまとめたおはなしです。
皆さんは竹取物語の原文をご存知でしょうか。
原文を読まれたことがある方、
ジブリ作品の『かぐや姫の物語』をご覧になった方は、
かぐや姫が自ら犯した罪を償うために
月から地球へ来たということをご存知かと思います。
竹取物語が書かれた頃よりも前から日本は仏教の影響を受けていました。
ですから竹取物語のベースには仏教の思想があります。
仏教用語に涅槃(ねはん)というものがあります。
涅槃というのは、煩悩や悩みなど人間の本能から起こる
精神の迷いがなくなった安楽の状態、悟りの境地のことを指しています。
竹取物語では、この悟りの境地の事を月で表現しています。
地球人、つまり私たちは悟りの境地へ到達するために、
日々煩悩と格闘しつつ生きているわけです。
生きることそのものは修行だ、といった言葉を耳にされたことがあるかと思うのですが
このような思想が古から日本には在るからなのでしょうね。
これを踏まえて竹取物語の世界を覗いてみると、
このような事がイメージできます。
悟りを開くという事は心を揺り動かされることが無くなるという風にも言えますので、
ある意味、感情が無くなることにも近いのかもしれません。
しかし、月に住んでいた姫は既に悟りを開いた崇高な存在であるにもかかわらず、
地球人の生き方に興味を抱いてしまったのです。
姫は、このような事を目を輝かせながら漏らしたのかもしれません。
「わたくし、地球へ行って、地球人たちのように様々な事を感じて生きてみたいの」と。
月に住むお偉いさんからしてみれば
悟りを開き高みに到達しているというのに
再び自分の階級を下げようとするとは何事か。
という事だったのでしょう。
「それならば、地球へ行き煩悩に苦しみ、地球人のように生きてみたいと思った自分の罪を償ってくるがよい」
というようなやり取りの末、かぐや姫は島流しの如く、地球に送られたのです。
(※お偉いさんと姫のやり取りは私のイメージですので悪しからず……。)
画像出典:KAGAYA (@KAGAYA_11949) | Twitter
このような仏教の思想がベースにあることを知ったうえで
竹取物語の原文に触れますと、
これまで抱いていた竹取物語のイメージがガラリと変わります。
多くの視点で楽しむことができる竹取物語ですが、
あなたは何を感じ取るのでしょうか。
かぐや姫が心の奥で抱いていた本当の恋心に触れた時、
あなたは何を感じるのでしょうか。
大人になった今だからこそ楽しめる奥深い「竹取物語」、
お時間がありましたらいかがでしょうか?
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