食べ物の好き嫌いの話題があがった。
原型を留めている虫などを目の前に差し出されたことがないため、
その手の物は未経験だけれども、
私には食べ物の好みはあれど、好き嫌いは無い。
出されたものは余程お腹がいっぱいでない限り、美味しくいただける、そう思っていた。
思っていたのだけれど、
そんな私にもこれまでに一度だけ、どうしても完食できなかったものがある。
それは、あるイギリス人のご家庭のホームパーティーにお招きいただいたときのこと。
おめかしをして、贈り物に準備していたお酒とチョコレート、
それに小さなフラワーブーケを手に伺った。
素敵なキャンドルが灯された温かい空間で
慣れない英語を駆使しつつも、お料理とお喋りを楽しんでいたときのこと。
この日のホストがスクッと立ち上がり、
「そうそう!柊希のために作ったものがあるの。持ってくるわ。」と席を立った。
慣れない国で生活をしている私への心づかいが温かくて、
私はワクワクした気持ちで彼女がキッチンから戻るのを待っていた。
しかし、彼女の手にしているお皿の中身に気付いた私の脳内を、
「どうしよう!!!」そんな焦りがぐるぐると巡り始めた。
そのお皿の中身とは、ご飯を甘い牛乳でお粥のように炊いた「ライスプディング」。
お米で作ったものだから、きっと気に入るはずだと言われ、
私は何が何でも食べきらなくてはいけないというプレッシャーから
背中に変な汗が流れたのを今でも覚えている。
お料理上手の彼女が作ったライスプディングは、
丁寧に炊きあげられたものだということが分かるような仕上がりで味も悪くないはずだ、とは思った。
日本でも「おはぎ」や「お団子」などのデザートを食べるのだから
お米が甘くなったところで支障はないような気がするのだけれども、思うのだけれども、
主食である白米と牛乳とお砂糖、フルーツジャムの組み合わせに
私の脳が、いやDNAが騒ぎ出し、
「私は日本人なんだ」と思い知らされた瞬間だった。
頑張って口に運んではみたもののライスプディングは喉を通って行かず、
顔が青ざめてしまう前にと、
正直な気持ちを伝えて、そっとスプーンをテーブルに置いたあの日。
あの日のライスプディングが、どうしても完食できなかった私の一皿だ。
もうかなりの年月が経っているのだけれど、
少し残念そうに「仕方ない、気にしないで」と言った彼女の表情を時々思い出し、
胸がチクリと痛むのだ。
イギリスで食べられているライスプディングに似た食べ物は世界中にあるし、
想像していたよりも美味しかったという声も聞かれるようになってきた。
そして、日本の水分と粘り気のあるお米は、
特にライスプディングに適したお米だとも耳にする。
一度自分でも作って食べてみてもいいのかもしれない、
と冒険心が育ちつつある今日この頃ではあるのだけれど、
なかなか一歩を踏み出せない私がいる。
食べ物の好き嫌いの話題で開いた私の引き出しの中には、
このような思い出が入っておりました。
皆さんの引き出しの中には、どのようなエピソードが入っているのでしょうね?