今夜は中秋の名月(十五夜)ですね。
満月は2日後ではありますが、
お天気がよければ丸いお月様を愛でることができるのではないでしょうか。
先日、「お月見は1回見ただけでは縁起が悪い」
と言われている理由などをご紹介しましたが、
十五夜と言えば「月うさぎ」のお話も欠かせませんね。
月には、うさぎが住んでいて餅つきをしているという、あのお話です。
皆さんは、どうして十五夜にうさぎが関係しているのかご存知でしょうか?
年に一度の十五夜ですものね。
本日の主役はうさぎさん。月うさぎのお話でもいたしましょう。
お好きなお飲み物のご用意はお済みでしょうか?
今宵夜空に浮かぶお月様に思いを馳せつつ、のんびりとお楽しみ下さいませ。
月うさぎのお話の由来は、いくつかの説があるのですが、
インドのジャータカ神話を由来として耳にしたり、目にすることが多いように感じます。
では、簡単にまとめた神話語りとまいりましょう。
むかし、むかし、仲の良いキツネとサルとウサギがいました。
彼らは一緒に暮らしていたのですが、時折、このような話をしておりました。
どうして僕らは獣の姿なのだろうか?
もしかしたら前世で悪いことをしたから、獣の姿をさせられてるのではないだろうか?
もしも、そうなのだとしたら、今からでも人の役に立つようなことをしようよ、と。
この様子を空の上から見ていた帝釈天という神様は、
お腹を空かせた老人の姿になり彼らの前に現れ、
彼らがどのようにして人の役に立とうとするのか試してみることにしたのです。
帝釈天様の考えなど知る由もない彼らは、
目の間に現れた今にも倒れそうな元気のない老人に駆け寄りました。
老人は彼らに「空腹で力が出ず動くことすらできないのだ。何か食べ物を分けてはくれないか?」と頼みます。
彼らは人の役に立つことができる機会が訪れたことが嬉しくて
老人のために食べ物を探しに行きました。
キツネは魚や鳥を獲り老人に差し出しました。
サルは木に生っている果実や木の実をとってきて差し出しました。
そしてウサギはというと、魚や鳥を獲ることも、果実や木の実などをとることもできず
老人に何ひとつ差し出すことができません。
ウサギは、キツネとサルにこう言いました。
もう一度、食べ物を探しに行ってくるから火を焚いて待っていて欲しいと。
しばらくしてウサギは戻ってきたのですが、
老人に差し出せるような食べ物はありません。
そんなウサギを見たキツネとサルはウサギを嘘つきだと言い攻めました。
意を決したウサギは老人に言います。
「私には食べ物をとってくることができません。
何もできない私だけれども、この私の体を食べて空腹を満たしてください。」と。
そして、キツネとサルが準備していた火の中に飛び込み、
言葉通り、自分の命を食べ物として老人に差し出したのです。
これを見た老人は、すぐに帝釈天の姿に戻ると、
「お前達の優しい気持ちは分かった。
今度生まれ変わる時には、きっと人間にすると約束しよう。
しかし、ウサギには可哀想なことをしてしまった。
お詫びにウサギの姿を月の中に永遠に残してやることにしよう。」と言い、
月の中にウサギの姿を転写しました。
こうして、月の中にウサギの姿が残っているのだそうでございます。
いかがでしたでしょうか。
少し切ないお話しではあるのですが、これが「月うさぎ」のお話しです。
今夜お天気が良くてお月様を愛でられましたら、
心優しきウサギのことも思い出してあげてくださいませ。
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