今日から神無月ですね。
旧暦の10月1日は、お留守番してくださる神様を除いて
日本全国にいらっしゃる八百万の神様たちが
出雲大社で行われている神様会議に出席するために出雲へ向けて出発します。
そして皆さんが出雲に到着するのは10月10日(旧暦)です。
どうして出発や到着の日が分かるの?という疑問を持たれた方もいらっしゃるでしょうか。
実は神様の出張スケジュールのようなものがあるのです。
※日付は全て旧暦です。
10月1日は、「神送り」といって、出雲へ向けて出発する神様に
道中のお弁当として各家庭でお餅やお赤飯を備えしてお見送りをします。
10月10日は、出雲大社では「神迎え」といって、
出雲の国、稲佐の浜で神様をお迎えして出雲大社へ向かいます。
10月11日から17日は、「神在祭」といって、
神様方が神議(かむはかり)という会議をします。
出雲大社では、神様が会議を行っている上宮、
神様の宿泊所とされている境内の19社でお祭りが行われます。
この後も帰宅するまでのスケジュールが準備されております。
神無月、神在月に関しては先日触れましたので、
今回は先日お留守番してくださる神様としてご紹介した恵比寿様が所属している
七福神というグループを覗いてみませんか?
七福神は、室町時代に庶民に人気のあった神様を終結させているので
人々の生活と密接な印象を受けるのではないでしょうか。
また、七福神と言えば宝船に乗っているイメージがありますが、
日本の恵比寿様を除いては、
中国やインドなどから海を渡ってこられた神様たちなのです。
|恵比須様
七福神の中で唯一の日本の神様でトレードマークは、烏帽子に釣り竿と立派な鯛。日本を作ったイザナギノミコトの第3子と言われており、いつも笑顔の恵比寿様だけれども、辛い過去をお持ちです。※そのお話はいつか機会がありましたら……。現在の得意分野は、五穀豊穣(大漁)、商売繁盛ですが、元は大漁の神様だといわれておりました。だから手放せないのです、釣り竿と鯛をギュッと握りしめていらっしゃいます。
|大黒天様
ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ天で、平安時代の僧侶・最澄(さいちょう)さんが日本に広めた神様です。トレードマークは、打ち出の小槌と大きな袋と米俵。財宝、福徳の神様である日本の大国主命(オオクニヌシノミコト)と一体化したのだそう。得意分野は、食物、財福、福徳です。※余談:神様との一体化、柊希の脳内ではドラゴンボールでのフュージョンみたいなものが神様ver.で繰り広げられております。
|布袋和尚(布袋尊)様
布袋尊のルーツは、唐の時代の禅僧・契此(かいし)さんですが、弥勒菩薩の化身ともいわれております。布袋和尚は、いつも笑顔を絶やさず人々に接していたのだそう。トレードマークは、ポンッと叩けばいい音がしそうな太っ腹と担いでいる大きな袋。袋の中にはサンタクロースも顔負け?の宝物がざっくり入っており、信仰の厚い人々に分け与えられるのだとか。その一方で、この袋は堪忍袋であるとも言われております。得意分野は、福徳、夫婦円満、子宝。
|福禄寿様
とても長い頭と、長い白髭、左手には宝珠を右手には巻物を括り付けた杖をもつ姿がトレードマークの古代中国の道教の神様です。得意分野は、名前でも表されている通り、福(幸福)、禄(財産)、寿(長寿)です。
|寿老人様
手には経典をつけた杖と桃を持ち、白髪で頭巾を被り、長いお髭がトレードマークの道教の神様。得意分野は、長寿と健康、子宝、幸福です。
ここでひとつ。
福禄寿様と寿老人様、何となく似ていると思いませんか?
一説によると、寿老人と福禄寿は同一人物だと言われております。
では、どうして七福神に入ってるのか?
それは、先人が異なるファッションをした同一人物の絵を見分けられず、加えてしまったのでは?との声があるようですが、真実はいかに!?
|弁財(才)天様
七福神の中では唯一の女神。琵琶を奏でる絶世の美女は、大黒天と同じくインドの水の神、サラスヴァティー。日本に伝わってきた当初は弁才天と呼ばれ、音楽や言語を司っていたのだけれど、後に、財宝や芸術に関係のある吉祥天の得意分野が吸収され弁財天と呼ばれるようになりました。彼女の得意分野は、知恵、財宝、音楽、学問、縁結び、芸事ですが、水の神としての性質も受け継がれています。
|毘沙門天様
戦国時代に居てもおかしくないような甲冑を身に着け、矛と宝塔を持ち、邪鬼を踏む姿がトレードマークの毘沙門天様。実は彼、悪の限りをつくしていた悪神だったのですが、お釈迦様のお説教をきっかけに改心し財産を守る善の神となりました。得意分野は勝負事。善悪共に知り尽くした毘沙門天様だからこその力があるのかもしれませんね。
神無月に各地でお留守番してくださっている恵比寿様が所属している
七福神という名のグループはいかがでしたか?
鎖国時代なども経験してきた日本ですが、
私は、日本人は古から新しいもの好き、外国文化好きだったのだろうなと思うのです。
表現を変えると、とても柔軟な感性を
この時代から持ち合わせていたとも言えるでしょうか。
柔軟な心は視野を自然と広げてくれます。
今日もやわらかハートでまいりましょうね。