人が一生のうちに摂る食事の回数は限られている。
だから私は、いい加減な食事は食べたくない。
これは、高級な食材や手の込んだもの以外は食べないといような意味ではなく、
その時々に自分が美味しいと感じられるものを美味しく味わいたいのです。
そして、誰かと食事を共にするのなら
目の前の食材やお料理の欠点を話題にしながら口にするのではなく、
いいところへ目を向けて「美味しいね」と言い合いながら、
美味しい時間を過ごしたい、そのような事を思っている。
その日は、ほんの少し、ひんやりと感じる秋風が肌に心地良い朝だった。
キッチンに立ち、艶やかなオレンジ色をした人参、真っ赤なりんごなどを
冷蔵庫から取り出して朝食の用意を始めた。
ふと、基本とされている1日3回の食事だけれど、どうして3回なのだろうかと思った。
美味しい食事を1日3回も口にできるということは、とても幸せなことなのだけれども、
食事を健康という視点で見てみると、
1日1食しか摂らなくても健康な人もいるし、
1日3食を摂っているからと言って健康が保証されるわけでもない。
やはり、どうして3回?と思ってしまったのです。
日本の食文化を遡ると、日本はもとは朝と夕の1日2食が基本でした。
平安時代の書物、『枕草子』には、
清少納言が大工さんたちが昼食を食べている所を見て
不思議に思っている様子が綴られています。
さすがに、朝食のみで丸1日、大工仕事をするのは大変でしょうから
大工さんは昼食を摂っていたのでしょうね。
※枕草子を楽しむコツ:枕草子は今でいうエッセイです。平安時代のエッセイだという視点で現代語訳などを読んでみると、意外にも楽しく読むことができる作品です。
このように、職種によっては1日3食を口にしていたようですが、
今のように職種に関係なく1日3食が広まり定着したのは江戸時代に入ってからのようです。
これは、それまで高級な品であったロウソクを庶民も手にすることができるようになり、
暗くなれば眠るしかなかった生活から
暗い夜を楽しむことができるような生活に変化したことが理由のようです。
更に時代を経るにつれ灯りの技術も進化し、産業も盛んになりました。
長時間働くことができるようになると、お昼に休憩をとるような生活に変わります。
遅くまで起きていたり、働いたりと、
平安時代の頃に比べると随分とたくさんのエネルギーを使う生活に伴って
自然と2食から3食へと変わっていったようです。
ただ、現代はこの3食の在り方を見直す声もあります。
古と違って、現代の食事は栄養に富んでいる上に随分と便利な社会なので、
余分なエネルギーが体に蓄積されてしまいがちですよね。
そして、1日3食による内臓の消化活動は体への負担がとても大きいのだそう。
自分の体の声に耳を傾けつつ、
栄養バランスや摂取量のバランスを柔軟に取ることができる自分でいたいものですね。
今日も皆さんが美味しい時間を過ごすことができますように☆彡