ある日、お仕事をご一緒させていただいている先輩から突然食事に誘われた。
今日はどのような場所にでも行ける装いだろうか、と脳内で自分を軽くスキャンする。
自身のOKサインを確認し、先輩のお誘いを快くお受けした。
目にも鮮やかなお料理を楽しみながら様々なお話をしていたのだけれども、
唐突に「柊希さんのおはこは何?」と尋ねられた。
口に運ぶお箸が一時停止した。
一度お箸を箸置きに戻し「おはこ、ですか……」と
オウム返しでしばしの時間を止めた事を思い出した。
一番得意なことは何?と聞いてもいいところを「おはこ」という言葉を使う。
そして、その発せられた言葉からは一切の古びたにおいがしないのは流石だなと感じた。
きっと言葉も使い手の使い方ひとつで古くも新しくも馴染みもするのだろう。
得意なものごとのことを「十八番」と書き「じゅうはちばん」、「おはこ」と読みますよね。
そもそも一番得意なものごとを指すのに中途半端な十八番と記す、
そして、同じ言葉に2つの読み方があり、同じ意味を持つなんて、
少しばかり不思議だと思いませんか?
ワタクシ、このような物事に出くわすと、
「面倒ね、紛らわしいわね、素直じゃないわね」などと思いつつもワクワクしてしまうのです。
この由来も諸説あるのですが、その中にはこのようなものがあります。
遥か昔、阿弥陀如来は仏になるために48項目の誓いを立て、修行に勤しんでいたのだそう。
その48項目の中の18番目は、
南無阿弥陀仏といった念仏を唱える人たちを必ず救済するというものでした。
これが、壮大な誓いで他よりも抜きんでていたので、
十八番は「得意なこと」の代名詞になったという説です。
そして、もうひとつは皆さんもご存知の歌舞伎界の市川家が関係しています。
歌舞伎の名家と言われている市川家が得意としている演目に、
「歌舞伎十八番」というものがあります。
市川家は、この「歌舞伎十八番」の脚本を封印した箱に大切に保管していたのだとか。
ここから得意なことを例える言葉として「十八番」が使われるようになったのだとか。
更に「おはこ」という読み方が加わったのは江戸時代から。
江戸時代には高価な書画や茶器などは、
専門家によって本物であると認められたことを証明する
「箱書き」と呼ばれる署名と一緒に箱に入れて保管する風習がありました。
この風習から「じゅうはちばん」と読んでいた「十八番」を
「おはこ」とも読むようになったのだとか。
このように、初めは仲間内や関係者内で使っていた言葉が
何かをきっかけにして世に出ることは古に限らず現代でも起こっています。
果たして10年後、それらの言葉の中で
どれ程の言葉が色褪せず、「十八番」のように、定まった居場所を得ているのでしょうね。
そのような事にもほんの少しだけ思いを馳せながら
私の頭の中は、あの時食べた美味しいお料理を思い出すのでありました。