先日、近所にある小学校の前を通りかかったときのこと。
体の割に大きなランドセルを背負い、
色鮮やかな表紙の児童書を読みながら歩いてくる子とすれ違った。
丁寧に刈られた丸坊主頭の少年だったからだろうか、
薪を背負いながら歩いて読書をしている姿の銅像でお馴染みの二宮金次郎と
その丸坊主の少年が妙にリンクしてしまって、つい少年を凝視してしまった。
すれ違いざまに児童書をちらりと覗き込むと、「一休さん」の文字が飛び込んで来た。
きっと一休さんの頓智話を楽しんでいるのだろうけれど、
少年が本当の一休さんを知るのはいつになるのだろうか、
などと思いながら私は目的地を目指した。
そのような事がありましたので、
今回は簡単にではありますが本当の一休さんを覗いてみませんか?
お時間がありましたら、肩の力をふぅ~っと抜いてお付き合いいただけたら幸いです。
さて、私たちが「一休さん」と呼んでいる一休さんの本名は一休宗純(いっきゅうそうじゅん)。
彼の頭の回転の速さ(頓智)に注目が集まることが多いので、
彼がどのような僧侶だったのかということには
なかなか興味が向かないように思います。
ただ、実際には「これが僧侶か!?」と
僧侶のイメージが変わってしまうくらい型破りな方だったのです。
その型破りな言動に周りは驚かされてばかりだったようですが、
ある説によると亡くなった恩師の後を追い入水自殺を試みたことが
一休さんが変化する境目だとも言われております。
彼の型破りな言動と言えば、
今とは違い当時の僧侶が口にするものと言えば精進料理中の精進料理。
お肉を口にするなんてもってのほかでした。
しかし、一休さんは、喉は単なる道なのだから八百屋さんであろうと、
魚屋さんであろうと私は通しますよと言い、
僧侶は口にすることを禁じられていたお肉や、お酒までも味わっていたのだそう。
他にも、悟りを開いた証である大切な証書を
師匠や兄弟子たちへの反抗心から捨ててしまったり、
戒律を破ってこそ人だ、と言ってみたり、
僧侶の籍に身を置きますと結婚も禁じられますが、
結婚し、自分の子供を弟子にしていたり。
禁じられていることは全てやってのけ、
当時の「僧侶とはこうあるべきだ」という一般常識をも払いのけるような
裏表の無い生活っぷりで周りを驚かせていました。
一休さんには、こちらではご紹介しきれない程のエピソードがあります。
僧侶らしからぬ僧侶であったエピソードが多いのですが、
ある意味人間らしい人物で、人の本質を見抜いていたようにも感じます。
それは、当時の人々も感じられていたのでしょう。
一休さんの法話は面白いと、多くの人たちから人気で愛されていたと言います。
ルールを守ることももちろん大切で必要なことなのだけれども、
酸いも甘いも噛み分けた人間味溢れる一休さんだったからこそ、
伝えられるものや伝わるものがあり、
人々を今も尚、魅了し続けているのかもしれません。