駅のホームに立っていたときのことだ。
すぐ後ろにあったベンチにご年配の女性グループが腰かけた。
女性たちの普段を存じ上げないけれど、
これから皆さんでお出かけをするような雰囲気で、
その場だけ、どことなく普段とは違う楽し気な空気に覆われていた。
その中の一人が「ちょっと小腹が空いたわね、これどうかしら」と
バッグの中から何やらお菓子のようなものを取り出し、
小分けになったそれを手渡し始めた。
「こんな小さいのがあるのね。」
「あぁ、懐かしいね。」
「最近、見かけなくなったものね。」
「わぁ、久しぶりに食べたけど美味しいわ。」
「いろんなことを思い出すわね。」
背後から聞こえてくる会話に私の意識が持っていかれ、
脳内一人連想ゲームスタートだ。
振り返りさえすれば、それが何なのか分かるのだけれども
そのタイミングで振り返るのは不自然だと思い、ひたすら想像力を働かせた。
しかし、そのお菓子のようなものは小ぶりなものだったからだろう。
すぐに完食してしまったのか話題が他へ移ってしまった。
ドラマの良いところで続きはまた来週、と言われた時に似た思いを胸に
ダメもとで、さりげなく後ろを振り返ってみた。
もちろん、出来るだけ不自然にならないように細心の注意を払って。
お喋りに夢中になっている女性の膝の上に置かれたお菓子の袋に気付いた私は、
心の中で小さく「よしっ!」とガッツポーズ。
袋にはレトロな書体で「シベリア」の文字が並んでいた。
シベリアとは程よい厚みにスライスした羊羹をカステラ生地で挟んだ
お菓子のようなパンのようなもの。
数年前には、ジブリ作品の「風立ちぬ」にもシベリアが登場し話題になったあれだ。
私自身はシベリア未体験なのだけれど、
お味を想像するに愛媛の銘菓「一六タルト」のようなものではないだろうか、
と勝手に思っていたのです。
ただ、あの時の先輩女性方の楽し気で美味しそうな雰囲気に影響され、
現在、シベリアに遭遇することを夢見て
コンビニやスーパー、パン屋さんなどを目下パトロール中でございます。
せっかく食べるのであればもう少しシベリアについて知っておいてもいいような気がするのですが、
シベリアのことを知ろうとすると、様々な壁にぶち当たるのです。
シベリアは、誰がどのようにして生み出したのか、
シベリアという名前は誰がどのような経緯で付けたのか、
そもそも、どこで生まれたものなのか、
何一つ、明らかになっていない不思議なお菓子だったのです。
分かっていることと言えば、明治時代後半から大正時代辺りからあり、
作るには意外にも手間暇のかかるお菓子であること。
当時は、どこのパン屋さんでも作られており、
子どもたちにとってテンションのあがる人気のお菓子だったことくらいです。
甘さもお菓子も多様化し、甘味が特別なものではなくなりつつあり、
「ヘルシーなもの」や「控えめな甘さ」がもてはやされる現代には
シベリアの居場所は以前ほど無いのかもしれません。
その証拠に、私自身、知ってはいたものの「食べてみよう」とまでは思わなかったのですから。
もしかしたらシベリアというお菓子は、
当時の思い出と共に食べるからこそ美味しいと感じる不思議なお菓子なのかもしれない。
だとすれば、当時を知らない私が食べて何を感じるのだろう。
そのような興味もあって、今日も出かけた先でコンビニを覗いてみるのでありました。