ここ数日、とても穏やかな日が続いている。
一歩外へ出てみれば、冷たすぎない爽やかな秋風が体を撫で、降り注ぐ日差しはぽかぽかと暖かで、一瞬、今は春じゃないかしら?と思ってしまいそうになる。
日本語には季語というものがあるけれど、先人たちが小技をピリッときかせてくれているため、現代の私たちにとっては違和感のあるものも少なくはない。
その中にある、小さい春と書く「小春日和」という言葉があるのだけれど、
その言葉のイメージから春の柔らかな日差しを想像する方も多いのではないでしょうか。
私は学生の頃、「小春日和」と聞くと春の景色をイメージしておりました。
しかし、この言葉にも先人たちの小技が効いているのです。
春を全身にまとったような言葉だけれども春の言葉ではなく、今の11月の晩秋辺りから12月の初冬頃にかけて使う言葉なのです。
何て紛らわしいことを!
今でもワタクシ、この言葉を目に、耳にするたびに密かにそう思っております。
皆さんも経験されているかと思うのですが、秋のひんやり感にも慣れた頃、
そろそろ冬支度をしなくてはいけないかしらと思った途端に春のように暖かい日が続くことがありますよね。
あの状態が小春日和です。
これだけなら紛らわしさにも次第に慣れてくるはずなのですが、
紛らわしい言葉のまま、時に間違った使い方をされながら存在している理由がもうひとつあります。
それは、春には、春の穏やかな気候を表す「春日和」という言葉あるということ。
「小」が付くか付かないかで表す季節が変わるのだから、やはり紛らわしい事この上ない!
今、この瞬間の季節と、今ではない季節とを重ね合わせ、
様々なことに思いを馳せる奥ゆかしさがあると言われればそれまでなのですが、日本語の奥には様々な風景があるものですね。
春のように暖かくて穏やかな日は気持ちも不思議と穏やかになるものです。
今年は、秋を彩る紅葉と秋に紛れ込む小さな春、小春日和を
先人たちの小技と共に感じてみてはいかがでしょうか。
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