その日は辺り一帯がぽかぽか陽気に包まれておりました。
優しい陽気に誘われて、ぷらりと外出してみることに。
日に日に肌寒さが増しており、
人だけではなく街中の木々たちもすっかり秋の装いです。
この時期の私の楽しみの一つは照葉(てりは)を目にすること。
照葉(てりは)というのは、この時期に赤や黄色に色付いた木々の葉に
秋の日差しが反射してキラキラと輝いていることや、
そのような状態にある木々の葉のことを表す言葉です。
特に紅葉(モミジ)に対して使われる事が多いので照葉(てりは)と見聞きした時には、
秋の日差しを浴びてキラキラと輝いている
赤や黄色に色付いた紅葉(モミジ)を想像してみてくださいませ。
大自然の中で目に見する照葉も素敵なのですが、
この日の私はカフェのテラス席で温かい飲み物と共に
街中の景色に溶け込んだ照葉を楽しんでおりました。
秋は、とても不思議な季節だと思うのです。
楽しい、きれい、美味しいと言ったところに留まらず、
どういうわけだか人の心の奥深くに話しかけてくるような、問うてくるような、
そのような季節のように感じます。
先人たちも、秋がまとう不思議で幻想的な季節感の虜になったのでしょう。
秋の様々を表すための美しい言葉の多いこと、多いこと。
例えば秋風のことを「色なき風」と言うことがありますが、
これは、古の中国で、四季を色で分けていたことから由来しています。
青春と言う言葉があるように春は青色に、
夏は朱夏と呼び朱色/赤色に、
秋は白秋と呼び白色で表され、
冬は玄冬と呼び黒(玄)色と言う具合に五行思想をもとにわけられておりました。
この「色なき風」ということばは、ここから生まれていると言われております。
秋風ひとつをとってみても「色なき風」以外にも
金風(きんぷう)、素風(そふう)などとも申しますし、
春のように朗らかな秋晴れの様子を秋麗(あきううらら)と言いますよね。
これだけでも十分だというのに、
雲がなく清らかな秋空模様を清明(あきらか)と呼び、
夕暮れ時になれば秋の暮(あきのくれ)や、秋の夕(あきのゆう)と。
こうして挙げてみるときりがないですし、
先人たちは本当にこんなにも使い分けていたのかしら?と
少しばかり意地悪なことも頭をよぎってしまいます。
ただ、どの言葉にも共通していることは、
わずか数文字の言葉の中に五感で感じた全てが
まるで景色を切り取ったかのように詰め込まれているということ。
もしかしたら先人たちは今の私たちよりもずっとずっと、
想像力が豊かだったのかもしれません。
私のぷらりご近所散策は、
照葉と秋の言の葉と温かいミルクティーを味わいながら、
先人たちの見た景色を妄想する、そのような時間となりました。
たゆたうように過ぎゆく秋のラストを飾る紅葉には、
ダイナミックな華やかさとともに、
胸をキュッと掴まれるような切なさも含まれているように感じるのですが、
皆さんは木々が色づくこの季節に何を感じられますでしょうか?
皆さんの今年の秋が、こころの奥がぽっと温かくなるような秋となりますように☆彡
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