書店内を散策しているとママとレジへ向かう小さな男の子とすれ違った。
小さな男の子が手にしていたのは「フランダースの犬」。
やはり今でもフランダースの犬は子どもが通る道のひとつなのだな、と思った。
皆さんも一度は聞いたことがあると思うのです。
「フランダースの犬を読んで(観て)泣くのは日本人だけだ」と。
ある年齢以上の方はアニメ版のフランダースの犬に出てくる
主人公のネロと愛犬パトラッシュのラストシーンの映像を思い浮かべるだけで
涙腺が緩みかけるという方もいらっしゃるのではないかしら。
わたくし、「日本の方との交流は初めてなんです」とおっしゃる方々とご一緒したことがあるのですけれど、
「日本人は本当にフランダースの犬を読んで泣くの?」と尋ねられることがありました。
しかも、それは1度や2度ではなく、
正直なところ「(またその話)」と思ってしまうくらいの回数尋ねられました。
単なる負け犬の話で泣くなんてどうかしてるよ、
どうして泣くの?どのポイントで泣くの?という声がほとんどで
時に日本代表であるかのような妙なプレッシャーに弱音を吐きそうになることもありました。
国を背負ってプレイする、国を背負って交渉ごとを進めるというのは想像以上に大変だ、
と“国を背負う”という大胆な妄想をした(させられた)のも、
その時が初めてだったような気が致します。
そして、実際にベルギーを訪れると、
知人たちは日本人って喜ぶんでしょ?という空気を漂わせながら
フランダースの犬に関連している場所を案内してくれました。
ただ、「フランダースの犬」に感動する日本人とはいえ何でもいいわけではありません。
丸ごと美術館と言っても過言ではないアントワープ聖母大聖堂と
ルーベンスの絵画を除いては、とにかく何もかもが雑。
それもそのはず、フランダースの犬はイギリス人作家の小説で
知っているのはイギリス人と日本人くらい。
アメリカに至ってはラストシーンが好ましくないという声によって
フランダースの犬にはハッピーエンドバージョンが存在するそうなのです。
私はまだハッピーエンドバージョンを手に取ったことがありませんので、
読んだ際にはお話させていただければ、と思います。
このような背景のもと、ベルギーの方々のご厚意に大人の事情も絡ませつつ、
フランダースの犬の世界を堪能しようとやってくる日本人の為に、
作って下さった石碑や石像、お土産ものの数々。
これらは想像から生まれたものというだけあって、
本来とは異なる意味で一見の価値があるような気が致します。
ネット上でもそれらを覗き見することはできますが、
ドイツ旅行が控えている方もいらっしゃるかもしれませんので、
こちらでのご紹介は割愛させていただきます。
皆さんはこの「フランダースの犬」という作品に対する各国の印象を見て
何を感じられますでしょうか。
わたくしは、教育や常識というのは始めからそこに在るものではなくて、
人が創っているものなのだな、と改めて感じたところです。
それと同時に、ものの見方や感じ方も各国それぞれ、十人十色。
それならは、何も感じずに通り過ぎてしまうよりも、
たくさんのことを感じられる日々を過ごしたいと、こちらも改めて。
フランダースの犬に触れる機会がありましたら
日本人だからこそ感じられる感情を味わってみてくださいませ。
もちろん、あなたの日々の中で生まれる様々な感情も☆彡