エスカレーターを駆け上がりホームに到着したての電車に飛び乗った。
帰宅ラッシュには少しだけ早い時間帯だと思ったのだけれども、
その電車内はラッシュと言えるくらいには混雑していた。
1日歩き回った程よい疲労感をまとい電車に揺られていると
背後からお酒の席での出来事を話す女性グループの話が耳に届いた。
「無礼講」の席で失態を犯してしまった若手社員の話をしていた。
本来ならば、その声の大きさに眉をひそめる人がいてもおかしくないのだけれど、
噂話や愚痴になってもおかしくない話題が、
登場人物たちへの愛に溢れたポジティブなものに代わっていた。
きっと皆、知らぬ間に彼女の話術にはまってしまっていたのだと思う。
私の隣のご婦人は小さく肩を揺らしながら私に目配せをした。
「無礼講で」と言われたお酒の席で羽目を外して失敗してしまったと言う話は
それなりに耳にするし、そのような場に居合わせてしまうこともあるものです。
私、このような状況を見聞きするとき、
失態を犯してしまう原因は、「無礼講」という言葉の意味の取り違えではないのだろうか、と思うのです。
「礼講」という言葉は、神事を表しています。
具体的には、神様にお酒を捧げたあと、
そのお酒を年長者から順にいただくというような儀式のことです。
このような儀式は、礼儀、礼節を重んじるので「礼講」と呼ばれていました。
そして、この儀式の後は「礼講が無い(解除された)宴」を皆で楽しみましょう、
という意味で「無礼講」という言葉が存在しています。
ですから、年長者や上司の方が「無礼講で」と仰るとき、
それは、堅苦しさは抜きにして、この時間を、お食事を、お酒を
皆で楽しんで欲しいという心遣いの言葉なのです。
礼儀、礼節一切不要と言っている訳ではないのですけれど、
どうしてでしょう、時に人は大きく気が緩んでしまうのものなのでしょうね。
このような失態は現代人だけではなく、先人たちも犯しています。
この様子がしっかりと記されている『太平記』という書物があります。
眠たくならない程度に「無礼講」視点のみにフォーカスしてサクッとお話しますと、
鎌倉時代のお酒の席は、
座る場所からお酌の順番まで身分によってお作法が細かく決められていました。
これを、「今宵の宴は無礼講にしよう」と初めて言ったのは後醍醐天皇だと言われています。
後醍醐天皇の言葉を受け、
その場にいた人たちは身分が分かるものを脱ぎ捨て宴を始めたといいます。
何のために、このような提案を?
この時の宴は重要なある計画について本音で話し合う必要がある宴でした。
同時に、この宴が密議であることが外部の人間にバレてしまわぬよう
カムフラージュする必要もあったのです。
一見、身分と言う名の垣根を超えた、充実した密議になりそうに思われますが、
普段から礼儀、礼節等に縛られていた彼らが、
突然、それらから解き放たれたらどうなるか。
彼らは羽目を外し過ぎてしまい、この計画は外へ漏れ、処刑された人も出ました。
その後、後醍醐天皇が行った礼儀、礼節を取っ払った宴に目を丸くした人々は、
これを「無礼講」と呼ぶようになったようです。
こちらは「無礼講」の語源というよりは、
「無礼講」という席の時ほど気を引き締めなくてはいけないという
戒めとなるエピソードと言った方がよさそうですね。
春は見送ったり見送られたり、迎えたり迎えられたり、お酒の席も増える季節です。
相手あってこそのコミュニケーションですので、
皆様、無礼講にご用心、でございます。
そして、楽しい時間をお過ごしくださいませ。