数人で食事をしていたときのこと。
子どもの頃はお酒なんで苦くてマズイものだと思っていたけれど、
いつのまにか美味しいと感じるようになるのだから不思議なものだ、という話になったのです。
そこから話題は、食べ物の好き嫌いは、
いつ頃どのようにして出来上がったのだろうかと発展し、
各々がぽろりぽろりと好き嫌いについて話し始めました。
子どもの頃から慣れないものは口にせず、
今も色々と食べてはみたいけれど、
つい慣れているものや味の想像ができるものを選んでしまう、という人。
子どもの頃とは逆で今は甘いものが苦手、
子どもの頃からとにかく甘いものに目がない、など
食の好みを細かく言い合えば興味深い話が色々と出てきました。
私は好奇心の方が勝ってしまっていたようで、
大人が食べるもの、飲むものをこっそりと摘まむような子どもでした。
そのことが影響しているのかは分からないけれど、
好き嫌いは無いほうなのではないかと思っている。
強いて挙げるならコーヒーとビールの苦みだけは苦手で、
どうしても断ることができないシチュエーション以外では、自ら口にすることはありません。
黙ってひと通り話を聞いていたその道のプロが、口を開きました。
苦手なものがあるということは、
好きになる可能性が残っているということでもあるのだと。
私たちの口の中には味蕾(みらい)と言う味を感じることができる器官があり、
人が好む味に違いがあるのは、この味蕾(みらい)の数の違いが関係しているのだそう。
その場に居たメンバーが「みらい?ミライ?未来?」のようなリアクションをすると、
「味のつぼみ(蕾)と書いて味蕾」と補足してくれました。
この味蕾(みらい)の数が多ければ味覚を強く感じるので
味を敏感に感じ分けることができるという仕組みなのだとか。
人は子どもの時に飲むミルクに含まれる成分でもある
甘み、旨み、塩みの味から覚えるのだそう。
そして、この段階では本能が味覚を通して苦み、辛み、酸味、渋みなどは
体に害があるものとして判断することで身体を守るようにできているそうなのです。
その後の成長過程で、
このような味の中にも体には害がないものがあることを学ぶのと同時に、
味蕾(みらい)の数が少しずつ減ることで感じられる刺激も減ったり、和らぎます。
すると、個人差はあるものの、苦手だったものが苦手ではなくなったり、
好物になったりという現象が起きるそうなのです。
ただ、この味蕾(みらい)という器官は年齢と共に徐々に減っていくものらしく、
子どもの頃を100とした場合30代、40代では30程にまで減っているようです。
ですから、子どもの時から苦手だから大人になった今でも苦手、とは限らないのだそう。
苦手であるとするならば、その味に対する経験値が少なく、
発達段階にある可能性も高いのだとか。
苦手だったものを、「美味しいかも」と感じたとき、
あなたの味覚の一部が大人ゾーンにゴールした印ということのようです。
わたくし、この話を聴きながら、
もし、ビールを美味しいと感じられたなら、夏のビアガーデンを満喫できるのかしら?
もし、コーヒーを美味しいと感じられたなら、あの素敵なコーヒー専門店を満喫できるのかしら?
とまだ感じることができていない世界を想像しておりました。
そして、気分だけでも大人ゾーンを味わうべく、いい香りだと感じているコーヒーはトライ中です。
しかし、周りに言わせると、私が飲んでいるものはコーヒーではなく
“限りなく牛乳に近いコーヒー風味の牛乳”らしいのですけれど。
「苦手」の先に「大好き」の種が隠れているのだとしたら、
あなたは、その大好きの種を手にしてみたいと思いますか?
味覚の世界も紙一重ということなのかもしれません。