朝焼けの空の空を眺めながら濃い目に淹れたルイボスティーを飲んでいた。
空に浮かぶ雲がほんのりと薄桃色に染まっていて、
まるでバラの花びらを撒いたかのような空をしていた。
そう言えば、明け方まで触れていた天然石も、こんな風に柔らかい色をしていた。
明け方までフル稼働だったため、
そのままでは眠れないような気がしてバスタブにお湯を張った。
リネン庫の隅から入浴剤が入った箱を取り出し、ガサゴソと目星をつけて入浴剤を取り出した。
少し大きめのタブレット型のそれをバスタブに放り入れた。
ドポンッという音と一緒にシュワシュワシュワと気泡が溢れ出した。
何だろう、これに似たシーンを私は知っている。
溢れ出る気泡を見ながらそう思った。
あ、あれだ。この後、神様が出てきて尋ねられるあれ。
あなたが落としたのは金の斧?銀の斧?それともこの斧?というイソップ物語。
バスタブの中から出てくるはずのない神様を想像しつつ、物語を振り返っていた。
というのは、わたくし、この物語とのお付き合いが長いのです。
子どもの頃から大人になった今でも数年に一度ほどではあるのですが触れている物語です。
物語そのものが好きだという理由ではなく、
翻訳者によって神様の対応が変わるところを地味に面白いと思っております。
皆さんもご存知のとおり、
木こりが手を滑らせて湖(川)に仕事道具の斧を落として落胆しているところに
湖(川)の中から神様が現れて「あなたが落とした斧は金の斧?銀の斧?それともこの使い込まれた古い斧?」と尋ねるのだけれど、
私が触れてきた物語では、神様は斧を取り換えるために毎回、湖(川)の底に戻ってしまうのです。
子どもの頃、「一度に3本見せてあげればいいのに、この神様って意地悪だな」と何度思ったことか。
きっと、この印象が引き金になっているのだと思います。
私は神様の一挙手一投足を観察するようになりました。
物語はその後、神様の丁寧な確認作業を経て木こりが古い斧が自分のものだと正直に答え、
これに感動した神様がご褒美に全ての斧を渡します。
この出来事を知った他の木こりたちも金の斧と銀の斧欲しさに
神様を騙して全ての斧を手に入れようとするも、
結果は自分の斧までも無くしてしまうといった具合に進んでいきます。
この時です、この欲に目が眩んだ木こりたちが金の斧を見せられたとき。
すぐさま「その金の斧こそが私の斧です」と言った木こりを目にした時の神様は、
嘘をついた木こりを手にしていた金の斧でゴンっと叩きこらしめただの、
この嘘つきめが!この馬鹿者が!と怒鳴りつけただの様々なシチュエーションがあります。
そして、お怒りになったまま湖(川)の底へ帰っていくというエンディングです。
本来、この物語は「正直は最良の策」といった教えの物語なのでしょうけれど、
神様って意外と短期なのね、神様も人なのね、と子どものころは思ったものです。
しかし、大人になると翻訳者の思考やイメージによるちょっとしたアレンジ部分、
腕の見せ所であり、遊び心を盛り込める部分なのだと気づきまして、
現在は翻訳者によって変わる神様の対応を地味に面白いと感じております。
時々、神様が女神様として描かれているものもありますが、
翻訳者は男性であることが多いのも密かに興味深いところでございます。
以前、古代ローマ時代と現代日本が入浴文化がお風呂で繋がる漫画作品が話題になりましたが、
その日の我が家のバスタブは、
少々変わり目線ではありますがイソップ物語の世界と繋がっておりました。
本日もお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
あなたのバスタイムが癒しの時間となりますように☆彡