書斎の窓を全て開け放って、溜まりに溜まっていた資料の断捨離をしていたときのこと。
外から子どもたちの弾むような笑い声が聞こえた。
その声を耳にして初めて、その日が日曜日だと気付いた穏やかな午前中、のはずだった。
次の瞬間、子どもたちの悲鳴にも似た声が上がった。
悲鳴の奥に混じる笑い声に緊急事態ではないことは直ぐに分かったのだけれども、
何となく気になった私はベランダへ出て少し離れた場所にある広場へ視線を落とした。
すると、何人かの男の子たちが何かを使って背筋がゾワゾワッとする音を出し、
それを聞いた女の子たちが嫌がるという構図が広がっていた。
女の子たちの悲鳴を楽しむ男の子たちの無邪気さとテンションの上がりっぷりに思わず、
「平和だなぁ」と声が漏れた。
その、彼女たちが悲鳴をあげていた音というのは、
黒板にチョークの側面をペタッとくっつけたまま黒板の上を滑らせると
キィィーと音がなるけれど、あの音に似ていた。
いつだっただろうか、
その耳を覆ってしまいたくなる音の仕組みに付いて書かれたものを目にしたことがあるのだけれど
あのキィィーという音は多くの人に拒否反応がでる音で、
本能的に拒否反応が出てしまうものらしいという仮説が立てられていた。
遺伝や科学的なことが解明されたわけではないようだから、
憶測、仮説の域を出ることはないのだけれど、
人は高音を警戒する力や要素を持っているのかもしれないというのだ。
と言うのも、私たちの祖先であると言われているあるサルたちは、
迫る危険を仲間に知らせる時に音(鳴き声)を使うそうなのだけれど、
その鳴き声の周波数と黒板のキィィーという音と周波数が酷似しているのだそう。
私たちの日常を軽く見渡してみても、
スマートフォンなどの災害通知音やサイレンの音、
改札で間違った切符を入れてしまった時に出る音など、
人の意識を引きつけ、注意を促す為に使われる音は比較的、高い音が使われている。
そう思うと、仮説とは言え、
人の祖先であったと言われるサルが使用していた
危険や警戒を表す高音に反応すると言われていることも頷けるような気がしている。
そのような事を思いながら断捨離の手を動かしていたのだけれど、
外から聞こえるキィィーという音がやけに響くような気がした。
どうやら、男の子たちは簡単に音を大きくする手段を手に入れたようだった。
私の中でも祖先の何かが反応しているのだろうか、
次第に全身の毛が逆立つような感覚に包まれた。
さすがに、彼女たちの様に悲鳴をあげることはないけれど、
同じ様に悲鳴をあげながら遊んでいた遠い、遠い薄れつつある記憶を思い出しながら、
私は、そっと開け放っていた窓を閉めた。
世の中には解明されていないことも山の様にあるけれど、
“もしかしたら……”という仮説で楽しむのも一興ではないだろうか。