数日前に、自宅近くにある桜並木の道を歩くとひと足先に
2本の桜の木が満開に近い状態だった。
行き交う人たちは、少しだけ早い春の訪れに嬉しさ半分、
「え?もう咲いたの?」と戸惑い半分、といった表情を浮かべつつも、
その美しさに足を止め、桜の木を見上げていた。
私は、季節の変わり目は、「もう少し薄着でも良かったかも」、
「もう少しだけ厚着をしてくるべきだったかも」などと家を出てから思うことがあり、
自分にとっての適温をバシッと決めることが下手なのだけれども、この桜の木の正確なこと。
その日は羽織っていたトレンチコートを脱いでしまってもいいくらい温かい日だった。
お花見で見る桜とは少しだけ姿形が違っているようにも見えたから、
その桜の木の開花は「その日」だったのだろう。
私もしばし足を止めていたのだけれど、
急いでいたこともあり後ろ髪を引かれる思いでその場をあとにした。
脳裏に薄っすらと残る淡い桜の色を思い返しながら歩いていると
『おさびし山のさくらの木』という絵本を思い出した。
今は手元にはないのだけれど、記憶の片隅にある1冊だ。
あらかたのあらすじは、こうだ。
※画像はhttps://www.amazon.co.jp/からお借りしました。
『おさびし山という山に、1本の桜の木がありました。
その桜の木の前を通りかかったある旅人は、散らない花はあるのかと桜の木に尋ねます。
桜の木は、咲いた花は必ず散るのだと答えます。
旅人は更に散ってしまった花とはもう会うことは出来ないのか、
散った花は散ったあとどこへいくのか、更に尋ねます。
桜の木は、命は巡り巡るものだからまた会える、
そのときのために出会ったことを覚えておこうと旅人に言います。
旅人は、その場を離れますが旅を終える前に再びその場所に足を運ぶと、
桜の木は切り倒され姿を消していたのです。
木は生きているのか、もう会うことはできないのか……。』
ここから物語はラストへと向かっていく。
ひとことで言うならば生命の物語なのだけれど、
視点を変えれば私たちを取り巻いている様々な物事にも通じるところがある作品で、
物語に触れる時の自分の状況や気持ちの在り方によって
見える世界が変わる、素敵な1冊だ。
著者は宮内婦貴子さんと言って映画やドラマの脚本を手がけられた方。
映像の世界にいらっしゃった方だからなのか、
言葉の奥に物語の映像が自然と浮かび上がるところも気に入っている。
出会いと別れの桜咲く季節に、
いせひでこさんの淡く優しい挿絵とともに、
宮内婦貴子さんの柔らかく澄んだ言葉で丁寧に紡がれる物語、あなたも一度いかがでしょうか。
関連情報:『おさびし山のさくらの木』
画像出典:https://jp.pinterest.com/