古い映画のワンシーンに、子どもたちが指切りげんまんをしている画があった。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲まーす、指切った」というあれだ。
子どもたちの無邪気な声に紛れるようにして解き放たれる歌詞の内容は、
少しだけ私の背筋を冷たくする。
今回は、「指切りげんまん」の世界をワタクシ柊希がナビゲート致します。
ちょっとした読書気分でお楽しみいただけましたら幸いです。
子どもの頃、誰もが交わしたことのある「指切りげんまん」。
「約束を破らない」という誓いの儀式のようなものなのだけれど、
嘘をついたら(約束を守らなかったら)針を千本も飲ませるだなんて、
子どもの無邪気な歌声に乗せるには少々物騒な歌詞だと思われたことはないでしょうか。
この場合の「千本」というのは数ではなく、
「それくらい多い数の、大量の針」と言う意味合いの方が適切な解釈ではあるものの、
それでも、つい「針を千本飲む」というところにフォーカスしてしまいがちです。
しかし、「針千本」だけではなく「指切り」も「げんまん」もなかなかハードな内容でございます。
「指切り」は、言葉のとおり指を切り落すという意味を含んでおり、
「げんまん」は、漢字で「拳万」と書き1万回拳で殴るという意味が含まれています。
そもそも、どうしてこのような誓いの儀式がわらべ歌になっているのか。
これは、江戸時代の遊郭で行われていた儀式がもとになっているという説があります。
遊女には意中の男性や、お得意様に小指の先を切り落として渡す風習があったといいます。
切り落として渡す方も渡す方ですが、受け取る側も受け取ったで、
その後、その指先をどうしたのだろうか、というワタクシの素朴な疑問はさておき。
代わりのない指を贈ることで気持ちの強さや誓いの強さ、本気度を示していたのだとか。
ですが、現代のような医療技術の無い時代、
南方仁先生が居たとも思えませんし(※お分かりになる方はJIN-仁-世界を回想なさってみてくださいませ)
指を切り落としてしまったら一大事だということは
当時の人々も分かっていたことでしょう。
このようなことが実際に行われていたのかどうか、
という点に関しては不明である、とも言われておりますし、
遊女たちは、死人の指に血のりをつけたものや作り物を売る商売人から指を買い、
それを誓いの印として贈っていたという説もあります。
このような説が残っているところを見ますと、
広く行われていた風習ではなく稀なことだったのではないかと、思います。
どのような経緯を経て、遊郭での儀式が「指切りげんまん」として
世の中に広まったのかは未だ定かではないようですが、
気持ちの強さや誓いの強さ、本気度を示す、このような儀式があり、
「指切りげんまん」というわらべ歌に姿を変えたことで
世の中に広まったのではないかと言われております。
指切りげんまんのもとになっているエピソードはハードな内容のものではありますが
本来、「約束」というものがどのようなもであるのか、
改めて考えさせられるようなエピソードでもあるような気がいたします。
約束の取り扱いには十分ご注意くださいませ。