友人から数枚の画像が届いた。
私が紫陽花を好きだと言ったことを覚えてくれているようで、毎年、この季節になると出かけた先で見かけた紫陽花の画像を送ってくれる。
なかなかPC前から離れることができない私は、そんな友人の優しさから、あぁ、もうこんなに紫陽花が咲いているのだなと知る。
先日届いた今年の紫陽花画像を眺めていると、紫陽花の他に、小さな虫の画像があった。
ん?これは……、もしかして蛍?と返すと、そうだと返ってきた。
水がきれいな町で生まれ育ったらしい友人にとって蛍は、とても身近な存在で蛍を見ると「今年も夏がやってくる」と感じるのだそう。
私が夏の訪れを感じるものは何だろう、ふと、そのようなことを思う。
真っ先に頭に浮かんだのは目にも鮮やかな青色とは対照的に控えめで可憐な姿をしている露草だった。
先人たちは、この露草を搾って摂った露草の汁を使って布を染めていたと言う。
この青は、水を使うと消える性質があることから、現在も布を染める際の下書きとして使い、本染の工程が終わると布を水で洗い下書きを消すのだそう。
そして、この露草は染め物だけでなく、万葉集にもツキクサ(月草/着草)の名で多数登場する。
朝早くに花を咲かせ、お昼ごろには萎んでしまう性質と、水を使うと消えてしまう性質から、儚さや人の心の移ろいを表す場面で登場するのだ。
露草の花言葉のひとつに「恋の心変わり」というものがあるのも、露草が持つこのような性質から連想されたもものなのだろう。
確かに露草は6月から8月頃までの草花なのだけれど、どうして私の中で夏前のイメージとして定着しているのか。
今にも薄れてしまいそうな記憶を辿ると、子どもの頃の水遊びに行き着いた。
庭に咲いている草花を摘み、水に浸しては搾り、色水を作って遊んでいたからだろう。
ほんのりと微かに染まった色水を光に透かし、色水越しに見た景色はきれいだったけれど、今でもそう感じられるだろうか、などと思ったりもして。
露草は私にとって懐かしい時間を思い出す鍵のような花なのかもしれない。
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