電車に揺られていた。
窓越しの強い日差しに肌がジリッと焼かれていくように感じて、
景色見たさに窓際に立ったことを少しだけ後悔した。
待ち合わせ場所は何度も確認したのだけれど、
その日は時間に余裕が無かったこともあり、
もう一度だけ場所を確認をしておこうとスマートフォンを覗き込んでいた。
すると突然、ご年配男性の大きな怒鳴り声が聞こえた。
驚いた私は、手にしていたスマートフォンを落としそうになり、指先にぎゅっと力を入れ直した。
乗車したときから静かな車内だったけれど、
空調の音が妙に際立ったように感じられたのは、
怒鳴り声を耳にした車内の人たちに走った緊張感の表れだったのだと思う。
張りつめた空気の中、静かに席を立ち、隣の車両へ移動する人も数名いた。
残っている乗客も、
誰もが自分に火の粉が降りかからないように目線を外してやり過ごしているようだった。
私も、状況を把握しつつも目線はスマートフォンの中だった。
彼は、今の若い人たちに関して感じていることを、
怒鳴るような口調で話しながら車内を歩き回っていた。
彼に悪気はなかったのだろうけれど、誰かが駅員に連絡を入れたのだろう。
次の駅に停車すると、彼は、ホームで待ち構えていた数名の駅員に
半ば引きずられるようにして電車を降りていった。
そして、走り出した車内は何事もなかったかのように、再び、穏やかな空気に包まれた。
人生の先輩だとは言え、話し振りや発せられた言葉は
お世辞にも褒められたものではなかったけれど、
ごもっともと思えるような内容や耳が痛い内容もあるにはあった。
と同時に、時代錯誤のようなものを感じる場面もあった。
人は自分が知っていること、感じられること、それまでの経験などを通して
ものごとを見て、感じて、反応してしまうけれど、
彼が今の若い人に対して感じていたことというのは、
無意識に、彼らに若かった頃の自分を重ね合わせ、
巡り巡って当時の自分自身に伝えたいことだったのかもしれない。
そして、怒鳴るようにして思いをぶちまけていた彼に対して
私や周りの人たちが個々に感じたことは、
各々が未来の自分に送るメッセージなのかもしれない。
例えば、「遠くて近い未来、あんな風にはなりたくないものだ」と思ったのだとしたら、
今の自分が未来の自分に対して、
「あんな風にはならないように日々を重ねてね」と。
「お話し相手が居ないのかしら」と思ったのだとしたら、
「お話し相手が居るような未来を今から築いておいてね」と。
「もう、そんな時代ではない、古いな」と思ったのだとしたら、
「未来の若者に、古い考えを一方的に押し付けるようなことはしないでね」と。
感じて切り取る部分や切り取り方は人それぞれだろうけれど、
様々なメッセージが隠れているようにも見えた。
そのような事を思っていたら、あっという間に目的地に到着した。
普段よりも背筋が伸びているように感じたのは、
私自身が未来の私にメッセージを送ったからなのかもしれない。
ある暑い日の私は、こうしてはじまった。