以前住んでいたところの近所に、少し話題のドーナツショップがあった。
カントリー調をベースにビビッドカラーで飾られた店構えは、素朴であるのに、どことなく今っぽい。
そのように感じさせる雰囲気があった。
自分からはあまりドーナツを口にしないこともあって、お店の賑わいを確認しながら素通りする日が続いていた。
わざわざ遠方からも、そのドーナツを求めて足を運ぶ人たちがいるのだと思うと、
近所なのだから一度くらい行ってみてもいいかも、そのような気まぐれが脳裏を過ぎった。
あれは、ちょうど今頃の時期で雨が降っていたときだったように思う。
友人にチーズを贈ろうと、お気に入りの専門店へ行き、
その足で付近の雑貨店をひと通りひやかした後、珍しく空いているドーナツショップが視界に入った。
しとしとと降る梅雨の雨を眺めながら、お店ご自慢のドーナツを味わいつつ過ごすティータイム。
「(雨の日の過ごし方としては、いい提案なんじゃないかしら)」
自身の提案を自画自賛しながら、私はお店のエントランスを潜った。
外観からイメージしていたよりもずっと落ち着いた雰囲気の店内に居心地の良さを感じながら、
ショーケースに並ぶカラフルなドーナツを眺める。
カラフルさにテンションが上がったけれど、お目当ては至極シンプルなオールドファッション。
そして話題の波にも乗っておこうかとカラフルなものも1つ注文した。
窓際の席に座ると、外は土砂降り。
道沿いに植えられている紫陽花たちが頭を大きく揺らしながら雨を受けていた。
そんな梅雨の景色を眺めながら、脳にドカンとくるような甘いドーナツと濃い目の紅茶を味わった。
さすがに2個は欲張りすぎたかしら、と思っていると、
2、3歳くらいの女の子を連れた可愛らしいママが隣りのテーブルをひとつ挟んで着席した。
外の紫陽花の様に体を上下に揺らす女の子は、ドーナツが待ちきれないといった様子だった。
しばらくすると、「汚れてる、これ、汚れてる」と女の子。
どうしたのだろう、と思い何となく視界の端で様子を伺っていると、
オールドファッションの端にミルクチョコレートがタラリとかけてあるドーナツを指さし、
ミルクチョコレートの部分を指さして「汚れてる」と眉間に立派なシワを寄せて連呼していた。
ママは娘の声の大きさとその内容から、若干、焦っているようにも見受けられたけれど、なんて、素敵な発想。
私はそう思わずにはいられなかった。
今まで、この時の出来事を思い出したことなどなかったのだけれども、
しとしとと降る雨音と、差し入れていただいた甘いドーナツの香りが
私をあの日のあの時間に少しだけ引き戻したのだろう。
何でもない日常を記憶の中で旅する時間。
雨の日は少しだけセンチメンタルだ。
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