友人が立ち上る紅茶の湯気でおしゃれな眼鏡を曇らせながら、ぼそりと呟いた。
「昔は、あまり迷わなかったんだけどな」と。
微笑み返しつつ私も紅茶をひと口、口に含んだ。
すると友人は、「最近迷ってばっかりで嫌になる」と小さく笑いながら続けた。
迷わずに決める。
迷わずに進む。
とても力強くて、周りを寄せ付けない決断力や勢いが感じられる言葉だけれども、
だからと言って「迷う」ことの何が嫌なのかしら、何がダメなのかしら。
そのようなことを思った。
年齢を重ねるにつれ、社会との関わりの中でも、プライベートな関わりの中でも
背負うものや守るべきものが増えていきます。
それによって迷うことも増えていくのだろうけれど、
それは、いつの間にか自分の手の中に知識と経験値が増えた印でもあると思うのです。
知識と経験値が多ければ多い程、同時に様々な答えを手繰り寄せることができ、
その中から、その時々の状況に合わせてより良い判断をすることができるため、
一見、得をするように感じられることもあります。
ですが、「より良い判断」をしようとすれば、
迷いが生じるのも、決断までに時間がかかるのも、無理はないのではないかと。
知識や経験値が十分でない時は選ぶことができる選択肢も少ないため、
ある意味、迷いたくても迷うことができないのではないかしらと思うのです。
知識や経験値が増えれば迷ってばかりなのかしら、
という思考も浮上するけれど、それはまた違うように感じるのです。
増えた分の知識や経験値は少しずつ自分の血となり肉となり、
完全に馴染む頃には、それらを上手に使いこなせる自分になっており
迷わなくなっているのでは、と。
成長を続けている限り、このようなことの繰り返しなのでしょうけれど
「迷う」ということは、それ程ネガティブなことではないように思うのです。
もちろん、時と場合によりけり、ではありますけれど。
そのようなことを友人に話すと、ポジティブだと笑われた。
「大人になれば迷わない」というのは、やはり少し違うように思う。
少なくとも私の実体験では。
そして、「迷うことは、それ程、悪いものではない」と思う。
迷いは自分自身が成長しようとしている印。
おぉ、まだまだ私は成長しようとしているのか!
迷いに押しつぶされそうになったなら、
そのような視点でひと息ついて、
迷いされも楽しみながら日々を重ねられたなら、
まだ見ぬ素敵な景色を目にすることができるように思うのです。