私の恒例行事のひとつなのですが、
七夕が近づくと近所のフラワーショップへ行き、笹の注文を入れておくのです。
以前は、七夕前であればいつでも手に入ると思っていたのですが、
直前ではフラワーショップをはしごしなくてはいけないことが何度か続き、
それ以来、このようなスタイルで笹を入手しております。
そして毎年、カラフルな短冊、一枚、一枚に願いごとをしたためるのです。
一歩外に出れば、ショッピングセンターなどに設置してある笹を目にしますが、
時々、短冊に書かれている文字があまりにも力強くて
書かれている願いごとが目に飛び込んでくることがあります。
そのような時、子どもたちの願いはとてもシンプルで澄んでいるのだと感じます。
そして、きっと、星に願わずとも自らの湧き出る力で
ひとつひとつ叶えていくのだろうと思うと、とても頼もしい気持ちになるのです。
一方、私の願いごとと言えば、
大人ならではの子どもとは異なるシンプルさはあるものの、
ちょっぴりお力添えを期待する感じが見え隠れしているようにも見えて
自分で笑ってしまうことがあります。
今月の和風月名は「文月」。
万葉集などにも登場するため、
なんとなく雅な空気をまとった月名のように感じるのは気のせいでしょうか。
この文月の由来は諸説あるのですが、七夕との関係を有力とするものが多いのです。
七夕の時季になると、五色の短冊に和歌や願い事をしたためて笹に飾りつけますが、
先人たちはこの様子を 「文被月(ふみひらきづき/ふみひろげづき)」と言っていたのだそう。
これが時代を経るにつれ変化し「文月(ふみづき)」となったと言われております。
他にも、中国では七夕の時季になると書物を虫干ししていたそうで、
この様子から旧暦の7月を「書物(文)を開く月」とし、
文月(ふみづき)となったという説もあります。
しかし、以前、幸せのレシピ集でもお話しさせていただいたことがあるように、
七夕は中国から奈良時代に日本に伝わってきった風習です。
もしも、先人たちが、
七夕の風習が始まる前から旧暦の7月を文月(ふみづき)と呼んでいたのであれば、
日本国内の出来事や風景などが文月(ふみづき)のもとになっていると推測することができます。
そのように考えられた時に登場する説がこちらです。
旧暦の7月頃は、立派に育った稲穂を見ることができることから、
穂見月(ほみづき)と呼ばれており、
これが少しずつ変化し文月(ふみづき)になったというもの。
まだまだ他にも文月(ふみづき)の説はあるようなのですが、
一番最初にお話した七夕絡みの説が、ドラマティックだからでしょうか、
文月(ふみづき)の由来としては、有力とされております。
今日は七夕ですね。
七夕の準備はお済みでしょうか。
文月の由来に思いを馳せるも良し、
織姫様と彦星様に思いを馳せるも良し、
星に願いごとを解き放つもよし、
思い思いの素敵な七夕タイムをお過ごしくださいませ。
本日もお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
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