古い石造りの洋館を改装した洋食店の前を通りすぎた。
お店の存在は随分と前から知っていたのだけれど、通りすぎるだけのお店だった。
その日も、いつも通り、お店の前を通り過ぎようとしていた。
すると、お店の扉が開き中から満足気な表情の女性たちが出てきた。
彼女たちと一緒にデミグラスソースの香りだろうか。
ザ・洋食店、といった、こっくりと深みのある香りがふわりお店の外へ漏れてきた。
ちょうどお昼でもと思っていたところだし、
ぎりぎりランチタイムにかかるような時間帯でもあるし、と思った私は、
お店の敷地の半分以上を通り過ぎようかという所で踵を返し、お店の入口へと向かった。
女性客を見送ったばかりのお店の方は、
そのような私の一部始終をその広い視野の端で捉えていたのかもしれない。
扉を締め切ることなく立っておられて、「どうぞ」と笑顔で私を招き入れてくださった。
流石、接客業。もう予定変更はできないな。
そう思ってしまった自分の思考回路の妙な歪みを振り払い、
私は初めてのそこへと足を踏み入れた。
とてもアットホームな雰囲気と食材が織りなす優しくも深い香り。
それらを包み込む上品な空間に、「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」、
そのような言葉が脳裏にチラついた。
明治時代に西洋の文明が入ってきて、
人々の習慣や制度など様々なことが大きく変化した当時の様子を
当然のことながら、私はリアルに知っているわけではないのだけれど、
当時の切れ端にそっと触れられたような気がした。
さて、何をいただこうかしら。
周りを軽く見渡して各テーブルへ運ばれていくお皿を何枚か見送り、
メニューを捲っては戻しを何度か繰り返した。
若干太い字で書き記してあったトマトソースで作られているナポリタンと、
自家製トマトケチャップで作られているナポリタンの2種類のうちのひとつ、
後者の方を注文することにした。
そう言えば、ナポリタンと聞くとイタリアのナポリ名物かしら?と思ってしまうけれど
イタリア料理ではないことは、ご存知の方も多いだろう。
戦後にアメリカ兵の方々が食べていたものを元に生まれた料理のひとつ、という定説があるのだけれど、
フランス料理の中にナポリタンの元になったのではないかと言われている料理があるのだという。
そのことが記されている書物によると、
それはスパゲッティにトマトやハム、チーズを加えて、ブイヨンで煮込んだものだそう。
この料理を戦後の食糧不足の中で作るとなると、
食材の入手が困難で難しかったため、
料理人たちは、アメリカ兵が使っていたトマトケチャップに目を付けたのだとか。
派手さはないものの、これまでも、これからも愛され続けるであろうケチャップで作るナポリタン。
時々食べたくなるのは、ナポリタンが日本生まれの日本食だからなのだろうか。
そのようなことを思いながら口にした自家製トマトケチャップのナポリタンは、
甘くて爽やかなトマトの酸味がきいていて、
別添えしてくださった粉チーズとタバスコ、スパイスミルに入ったブラックペッパーも嬉しくて、
「今日のランチ、大当たり」そう思える味だった。
皆さんのお好みはどちらかしら?
トマトソースのナポリタン?ケチャップのナポリタン?
お好きなお味で文明開化の切れ端に触れてみてはいかがでしょうか。