電車内の座席は乗客で程よく埋まっていた。
私は揺れるつり革と外を流れる景色を交互に眺めながら、目的地を目指していた。
暑い……、こんな真っ昼間に外出するんじゃなかったかな。
夏が苦手な私は、今年もまた、そのようなことを思っていた。
ここまで暑いとスマートフォンを覗き込む気力も失われてしまうのか、
私は、時折、体を撫でるように吹く冷風を心待ちにしながら立っていた。
すると、少し先の視界で小さな何かが動いているような気配がした。
ボックスシートの背もたれ上部で動く何かに視線と意識を集中させた。
「(あ、アリか。)」
人間にくっついていたら、知らぬ間に電車内にまで運ばれてきてしまったのだろう。
「(あー、この小さなアリは故郷に帰ることが極めて難しい冒険の旅へ出てしまったのだな。)」
よくあるファンタジー作品のようなストーリーを脳内展開させながら、
しばらくアリの動向を見守った。
つい、アリにばかり気を取られていたけれど、
背もたれに背中を預けて座っている女性の髪の毛はアップスタイルで
トップスはノースリーブといった夏の装い。
アリに噛まれでもしたら大変、そう思った私は、
そのアリを払い退けようと手を伸ばそうとするも、伸ばしかけた手を引っ込めてしまった。
出かける前にテレビから聞こえてきた「ヒアリの話」を思い出してしまったからだ。
どこぞの専門家が真剣な眼差しで言っていたのだ。
珍しいアリを見かけたら気軽に触れたりしないようにと。
アリが女性の方へ向かわないか気にしながら私はスマートフォンで「ヒアリ」の画像を検索した。
私が感じたヒアリの第一印象は、茶褐色のスケルトンボディーだということ。
そして、頭のような形をした赤黒いお尻を持ったアリだということ。
画像と目の前を右往左往しているアリを見比べてみた。
外からの日差しが大冒険真っ只中のアリを照らしているせいだろう、
目の前のアリのボディーも画像のそれと同じくらい茶褐色だった。
ただ、お尻は黒いとも大きいとも感じなかったため、ヒアリではないだろう、という結論に達した。
払い除ける勇気は無くなってしまったけれど、なんとなくホッとした瞬間だ。
外来生物が生態系を崩し、様々な問題を引き起こすこともあるけれど、
新たな風を吹き込んで人々の生活に活気や幸せをもたらすこともある。
人もまた外来生物として普段意識していない世界に対して然り、だ。
自分(人)主体で見れば被害者のような気持ちになってしまうこともあるけれど、
真実というものは、いつだって見えにくいし、ひとつだとは限らない。
そのようなことを思ったある夏の日のできごとだ。