まだ、暑さまっしぐらだったころ。
駐車場に停めてあった車のドアに手をかけた。
「あっつ!」思わず発した声と引っ込めた手、どちらが早かっただろうか。
既に姿が見えなくなった太陽の置き土産は、なんて情熱的なのだろう。
そんなことを思いながら、目には見えない熱をブラブラと手を振って払った。
ドアを開け、車内に乗り込もうとした時、
ちょうどビルとビルの間から、それはそれは大きくて赤く染まった月が昇り始めていた。
その赤く染まった月が妖艶で魅惑的だったものだから、
「早く、乗って」
その声を聞くまで、私は、しばらく車に乗り込むことを忘れて見入ってしまった。
時々、あるのだ。
息をのむほどの表情(かお)をした月との出会い。
月も人と同じで、様々な顔を持っている。
その表情の奥にあるものを全て理解することはできなくて当たり前なのだけれども、
その表情の奥を少しだけでも理解することができたなら、
共有することができたなら、
分かり合えた瞬間がひとつ、またひとつ、と増えたなら、
それって、ちょっと幸せじゃないか。そんな風に思う。
自宅に戻るとすぐにベランダに出てスマートフォンを魅惑的な彼女に向けた。
何度シャッターを切っても、簡単にはその姿を収めさせてはもらえず、
私は、自分の目に焼き付けることにした。
離れた場所に住む友人にも、この魅惑的な月を届けたくて、
一部始終を文字に起こし、ピンボケした画像を添えて届けた。
すると、月への愛が、魅惑的な月に見せているのだと意味深な言葉が返ってきた。
友人の言葉の意味を簡単に説明するとこうだ。
大きく見えた月に感動してシャッターを切ってみたけれど、
カメラのレンズ越しに撮った月は、びっくりするほど小さく写ることがある。
これは、錯覚による現象のひとつで「ポンゾ錯視」、「天体錯視」などと言われ、
様々なもの、例えば建物や自分の視線などのそれらが少しずつ影響しあい、
どういう訳だか、実際の目には、月が大きく映るのだという。
特に、この現象が起こりやすいのは月の昇りはじめ。
私が車に乗り込む前に見た月が大きく見えたのは、
このような条件が揃ってできた私の錯覚なのだそう。
あまりにも的確に説明され、「ロマンがない奴め!」と思っていると、
「柊希、カメラのレンズを通した大きさの方が正確な月の姿だよ」と続いた。
頼りになる友人ではあるのだけれど、
時々こうして、私のロマンと月への恋心をぶち壊し、良くも悪くも心をかき乱してくれるのだ。
そのような友人の性格を「面白い奴め!」と楽しんでもいるのだけれど。
見ている月が特に大きく感じた時は、脳が錯覚を引き起こしているようです。
次の満月は中秋の名月の後、10月6日です。
あなたが出会う月の表情は、あなただけのもの。
月との関係性は、あなた次第。
現実を追求するもよし、わぁ、なんて大きな月なの!と感激しまくるもよし。
素敵な出会いを楽しんでみてくださいませ。