コンビニのレジに並んでいたときのこと。
私の前にいたサラリーマンが店員から受け取った小銭をバラバラッと落とした。
私のもとへ転がってきた硬貨を拾い上げようとしゃがんだら、
硬貨が軽やかに方向転換し、私の横をすり抜けて転がっていったものだから、
自分のどんくささに肩を落としつつ、硬貨の後を追いかけた。
1円硬貨を2枚拾い上げてサラリーマンのもとへ急ごうとすると、
「急いでいるから、それは募金箱へお願い!」と言い残し、彼は慌ててコンビニを去っていった。
意識の全てを転がり行く1円硬貨に向けていたのだろう。
急に店内に流れていたBGMのボリュームが大きくなったように感じていると、
レジに居た店員が、台風が過ぎ去った後みたいですね、と声をかけてきた。
私は、拾い上げた1円硬貨を店員に見せ、お互いに頷きあった後、
サラリーマンの望みを叶えるべく2枚の1円硬貨を募金箱へ入れた。
物に対して感じる価値は、人によって様々だけれども、
お金本来の価値を知っている人は、どれくらいいるのだろうかと思った。
ここで言う本来の価値というのは、シンプルに硬貨として、紙としての価値のことなのだけれども。
私は数年前に、当時の1円玉は1円では作ることができないというニュースを見て、
初めて本来の価値について思いを巡らせたように思う。
当たり前のことなのだけれども、お金を作るにも原材料費や製造費などがかかり、タダではない。
私の記憶に薄っすらと残っている当時の話になってしまうのだけれども、
1円玉の原料であるアルミニウム地金の相場が2倍ほどに跳ね上がり
その影響を受けて1円玉をつくるためには約2円ほどのコストがかかっていたように思う。
原価割れで、大赤字。大丈夫なのかしら?と単純に思ったけれど、
全ての原料を一から調達しているのではなく、
市場に出回っている硬貨をリサイクルして原料に加えることもあるらしく、
アルミニウム地金の相場の動きが
そのまま硬貨の金額的な価値に反映されることはないのだという。
それだけではなく、お金は、硬貨だけではなく紙幣も製造されているけれど、
紙幣にかかるコストが硬貨に比べると低いため、
お金全体で見ると大赤字になることはなく、硬貨や紙幣の価値は保たれているという。
硬貨や紙幣の価値が保たれているからこそ、私たちの日常に混乱が起こることなく、
お金が紙切れになるのでは?という不安を抱くこともなく過ごすことができているというわけだ。
少し想像してみれば、分かることばかりなのだけれど、
本当の価値を知ること、本当の価値を見るチカラを、
うっかりどこかへ忘れてきてしまわないようにしたいものだと思ったある日のできごと。