少し前、海外に住んでいる友人から久しぶりに連絡が来たのです。
生活のリズムは整ったように感じられたけれど、
慣れない土地での奮闘は続いているようで日本が恋しいと連呼しておりました。
笑いながら現地での出来事を話してくれていたのだけれど、
何となく彼女の声に詰まりを感じて「大丈夫?」と声をかけたのです。
中途半端な間が空いたあと、「大丈夫……じゃないぃぃ……」と涙声。
もちろん、心配ではあったけれど、
このタイミングで泣くことができて良かった。弱音を吐くことができて良かった。
そんなことを思いながら、彼女の胸の内をただただ聴いておりました。
人は頑張りすぎてしまうことがあります。
特に、「最近忙しくて時間がない。」そのような感情が自分の中にあるときは要注意です。
きっと、抱えている様々なモノゴトをこなせるだけの力があるからこそ、
それらを抱える状況に身を置いていたり、
身を置く状況に至っているのだろうけれど、
24時間、365日、これから先何年も、何十年も、そのまま走り続けられるかしら?
そう思って少し、立ち止まってみることも必要ではないかと思うのです。
きっと、頑張り続けることが当たり前になりすぎて、
力のゆるめ方や立ち止まり方を忘れ、
自分以外の誰かの力を借りることでモノゴトが上手く回ったり、
違う広がりや化学反応を起こすことがあることも忘れてしまっているのだと思うのです。
自分1人でできることも、もちろん、たくさんあるのだけれど、
自分1人で完結させたい気持ちや
人の力を借りたくない気持ち、
人の力を借りるのは申し訳ないという罪悪感にも似た思い込み、
私がやらなくてはいけないという強い責任感などなど、
無意識に抱いてしまっている気持ちが、自分から余裕を奪って、
心身共に忙しい日々にしていることがあるのではないかと思うのです。
私も無意識にこういう気持ちを抱いてしまっていることがあります。
完全に電池を使い切ってベッドに傾れ込むのですが、
無意識だから気が付かないんですよね、自分自身のことなのに。
そして、ベッドに辿り着けたことでセーフにしてしまう。
心身は全くセーフではなかったりするのに。
人の力を借りることは悪いことではないし、
そうすることで見える世界や、知ることができる世界があって、
相手のことも自分のこともより深く知ることができる貴重な機会でもあると思うのです。
ただ、頑張り屋さんであればあるほど、
「助けて欲しい」、「力をかしてほしい」と言えなかったり、
せっかく「手伝おうか」と言ってくれた人の助けを「大丈夫だよ」と笑顔で断ってしまったり。
頭と心の中がごちゃごちゃになってしまうこともあります。
手伝おうかと声をかけてくれた人は、
きっと、とてもよく観察してくれていて、
頑張っていることも、1人で何とかしようとしていることも何となく分かった上で、
その人はその人なりの勇気を使って声をかけてくれていることもあります。
その勇気に対しては、こちら側も勇気で「ありがとう、お願いしてもいい?」と答えることも、
ある種の思いやりとも言えるのではないかしら、と思うのですがいかがでしょう。
もちろん、自分から「お願いしてもいい?」と言うことも、
甘えでも手抜きでもなくて、
少し異なる視点から眺めて見たらお互いにとって貴重な機会のひとつではないかと。
お願いしてもいい?という言葉に対して、ハードルが高いなと感じた方は、
自分が思っている以上に頑張っているはずです。
自分自身を守ってあげるのも、大切にしてあげるのも、自分の役目。
そんな風に少しずつ視点を変えながら、自分らしく居られるといいですよね。
慣れないうちや気恥ずかしさが勝ってしまうときには、
女優気分でお願いしてみても良いと思うのです。
これから、年末に向かって嫌でも忙しくなります。
「最近忙しくて時間がない。」そのような感情が自分の中にある方は、
この機会に、自分の声を聴いてみてあげてみてはいかがでしょうか。
私も今夜は、バスタブに浸かりながら自分の声を聴いてみようと思っております。
あなたも是非。
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