子どもの頃、忽然と姿を消した物たちは、いったいどこに集結しているのだろうか、と真剣に考えていたことがある。
というのも、大切にしているはずのものに限って姿を消すことがあったからだ。
必死に探している時には出てこないくせに、
探すことを止めた途端、ひょっこり姿を現すものだから、
おちょくられているような気分になったことも一度や二度ではない。
そのうち、何処かに私の知らない扉があり、
その扉をくぐると様々な物たちが夜な夜な楽し気な宴を開いているのではなかろうか。
それとも、持ち主の愚痴をこぼし合ったりしているのだろうか、と
想像の世界を、ひっそりと楽しんだりもした。
「あれが無い」、「これが無い」と言うと、周りからは必ずと言っていい程、
大切に片付けておかないからだなんて言われていたけれど、
大切且つ厳重に片付けていても、姿を消してしまうときには、消してしまうものだと思っていた。
そして、いつの間にか、大切に片付けすぎてしまうと所在が分からなくなることがある、
という解釈に落ち着くくらいの大人になっていた。
そのようなとき、どこぞのアニメーションで、
夜中にオモチャたちが動き出す物語に出会った時の妙な懐かしさは、
子どもの頃、真剣に考えていた扉の向こう側の世界が映像化したからだろう。
このようなことを久しぶりに思い出した理由は、
大切にしまっていたはずの表札が見当たらないから、だ。
防犯上、表札は掲げずにいるのだけれど、随分と前に一度だけ、
使うモチーフや色などに意味を持たせてデザインした表札を作ったことがある。
ただ、使おうにも引越が多く、表札が引越先の形状に合わないこともあり、
プチプチの名でお馴染みのエアパッキンで丁寧に梱包し、
大切に片付けたはずなのだけれども、どこを探しても見当たらないのだ。
我が家に眠る開かずの箱を全て開封してみたけれど、無い。
あまりにも長い間、使わずにいたことにヘソを曲げ、扉の向こう側へ行ってしまったのだろうか?
久しぶりに、そのような想像をしてしまった。
そう言えば、今朝ネット上で偶然目に飛び込んで来た今月の占いに載っていた「失せもの出ずべし」の文字。
今月もあと僅か。
扉の向こう側を想像しつつ「失せもの出ずべし」に淡い期待を抱きながら過ごそうと思う。