師走感漂う街中を移動しながら、浮世のあれやこれやを片付けていたある日。
私の中のブレーカーがカチリと地味な音を立てて落ちたような気がした。
締め切りが近づいている幾つかの用事が残っていたのだけれど、
今日はここまでにしよう、そう思った。
しかし、人と言うものは現金なもので、
一時的とはいえ、用事から解放されたと認識した途端、
今度は、私の中の非常電源スイッチはカチッと入り、寄り道をして帰ることにしていた。
そして、その寄り道の途中でベンチに座る人たちを目にしたのだけれど、
そこに座る皆さんの座り姿からは疲労感が漏れ出しており、
もぬけの殻一歩手前のように見えた。
私も、少し前まであれくらい覇気のない顔をしていたのかもしれないと
心の中に妙な同士魂が沸いた。
もぬけの殻。
当たり前のように使い、耳にしている言葉だけれど、
文字にした状態で眺めてみると、何とも奇妙な言葉だと、久しぶりに思った。
誰が最初に「もぬけの殻」と発したのかは存じ上げないけれど、
この妙な言葉の語源は平安時代の十二単だと言われている。
色鮮やかな十二単は、平安時代の女性専用装束で、
フォーマルな場に相応しい装いとして着用されていていたもの。
正確には「五衣唐衣裳(いつつぎぬ・からぎぬ・も)」と呼ばれていたという。
十二単は、衣を何枚も重ねるけれど、その着方(着付け)は、いたってシンプル。
今で言うインナーと袴を着用した状態から薄い衣を重ねていく。
まずは、1枚目の衣を羽織り1本目の帯代わりの紐で衣を腰辺りで固定する。
その上から、2枚目の衣を羽織り、2本めの帯代わりの紐で腰辺りを固定する。
この時、1本目の紐をスルスルと引き抜き、3枚目の衣の固定に使うのだ。
今度は、2本めの帯代わりの紐を引き抜き、4枚目の衣に使用する。
このように、2本の紐を交互に使って衣を何枚も着付けていき、
最後に、裳(も)呼ばれるものを着用するのだけれど、
これはウエディングベールの腰から下バージョンのようなイメージのもので腰辺りで固定する。
これは、帯やベルトのような役割も果たしており、
着付け中に使っていた2本の紐は、最後には2本とも抜きとるのだ。
幾重の衣と重量を想像すると裳(も)の紐だけで全部の衣を固定していることに少し驚きもする。
そして、こんなにも重ね着したのでは、さぞかし脱ぐときも大変なのだろうと思うけれど、
結局は最後の裳(も)一本で固定してあるだけなので、
十二単の着用時の形を立体的に残したまま抜け出すことができるのだそう。
この様子を、裳(も)から抜け出す、裳抜けと言い、「もぬけの殻」の語源だと言われている。
容赦なく押し寄せる師走感漂う日常と、次から次に押し寄せる楽しいイベント。
女性の皆さんは、それ以外にも気が抜けない年末年始を過ごされる方も少なくないと思います。
疲労困憊でもぬけの殻になってしまわぬよう、こういう時期だからこそ、
自分のことを労わること、褒めてあげること、癒してあげること、大丈夫!と言ってあげること、
全部忘れずにお過ごしくださいませ。
目の前のことから一つずつで大丈夫、焦らず、慌てずまいりましょ。