近所にある人気のパン屋さんは絶えず行列ができている。
人が4人も入れば店内はいっぱいで、お客同士がすれ違うこともできないほどの、
小さくて可愛らしくて小粋な雰囲気のお店だ。
決して外さない定番のパンから、お惣菜パン、デザートパンなどが丁寧に少しずつ並べられている。
今日は待たずに買えそう、そう思った私はお店の外に続く列の最後尾に並んだ。
ひと足先に店内に入ることができたお客さんたちが、
手にしたトレイにトングで次々とパンを乗せていく様子と、
陳列棚に残るパンをガラス越しに眺め、連れ帰るパンに目星をつける。
冷たい風が秋の欠片の落ち葉を巻き上げながら、
列に並ぶ私たちの背中を足元から撫で上げた。
寒い、寒い、寒―い。心の中で叫びつつ、
目星をつけた“オリーブとお塩のフォカッチャ”が無くならないといいな。
そのようなことを思いながら順番を待った。
私が並んだすぐ後に、外国人旅行客が続くようにして並んだ。
彼らのアテンドをしているのか日本人女性もいた。
時折聞こえる「オンセン(温泉)」という言葉に、
この時期の温泉は身体が温まるだろうなどと思っていると、
きっと、温泉マナーのようなものを頭に入れてからお宿を訪れたのだろう。
ひとりの外国人女性が、ぎこちないイントネーションで
「かけ湯」「風呂桶」といった単語を交えながら、日本人女性に温泉での出来事を熱く語り始めた。
途切れ途切れに漏れ聞こえてきた会話は、
「カケユ(かけ湯)」をするときも、隣に居る自分にお湯がかからないようにしてくれた。
隣に人が居なくても皆がそう振る舞っていたし、
使った「フロオケ(風呂桶)も、お湯できれいにしてから戻していた。
日本人女性というのは、温泉の中でも親切な上に動作が美しくてびっくりした。
というものだったように思う。
あと、私が印象的だったのは、「皆、裸だけれどジュエリーを身に着けているみたいだった」という彼女のフレーズだ。
素敵に褒めて下さっているというのに私の脳内では、
昔の貴重映像などで目にするような温泉の浴室内の光景と、
ルパンに狙われるのでは?と思うほどの眩い光を放つジュエリーが交互に映し出された。
その単純で陳腐な想像に彼女のフレーズが台無しだと、
背後の盛り上がりをよそに妙な恥ずかしさに襲われもして。
私たちにとっては当たり前の浴室内での所作であっても、
傍から見れば、そのように見えるのかと新鮮な気持ちになるのと同時に
日本文化に触れて、様々なことを感じてもらえていることを嬉しくも思った。
彼女の視点を借りて日本人の日常を見てみると、
日本人の思いやりは、個人的な考えや感性と、
物事や自分の考えや思いさえも一歩引いて見ることができる冷静さが溶け合って生まれるものなのかもしれないと思ったりもして。
外側の景色に気を取られすぎてしまうこともあるけれど、
私たちの日常は、眩い光を放つジュエリーで彩られているのかもしれない。
濃い目に淹れたミルクティーと、無事に買って帰ることができた“オリーブとお塩のフォカッチャ”をおやつに味わいながら、そのようなことを思うある日の午後。