先日、必要に迫られて、いくつかの文献をはしごしていたのだけれど、
その中で、「玉の輿」という言葉が江戸時代からあったということを知った。
私が必要としていた内容からは随分とかけ離れていたのだけれど、
私の思考は更に本筋から離れ、いつの間にか「玉の輿」という言葉の背景を追っていた。
裕福な男性の元へ嫁ぐことを「玉の輿」と呼び、
その逆のパターンを現代人は「逆玉」などと呼ぶこともある。
そもそも、そこに登場する「玉」とは何ぞやという話である。
「輿(こし)」は、台の上に乗せた人を人が担いで運ぶ乗り物で
お祭りなどの時には神様を乗せる乗り物、神輿として知られている。
しかし、カボチャの馬車を連想させるような球状の輿を私は見たことがない。
そのような素朴な疑問のもと調べてみると、
「玉」は、八百屋を営む両親のもとに生まれた女性の名前であり、
「玉の輿」は、「玉ちゃんが乗った輿」ということだった。
この八百屋に生まれたお玉ちゃん、
由緒正しき名家、西陣の大棚である本庄家に養女に出された後、
江戸まで輿に乗って嫁いだことから、「玉ちゃんが乗った輿」として、
裕福な男性に嫁ぐことを、玉の輿と呼ぶようになったと言われているのだとか。
ここまでの内容であれば、「そうなのか」で済ませられるのだけれども、
本日1月20日は、「玉の輿の日」なのだそう。
「玉の輿」という言葉ができた日なのかと思いきや、
1905(明治38)年のこの日、祇園の芸妓だったお雪さんが、
当時のアメリカで強い影響力を持っていたモルガン商会創始者の甥、
ジョージ・モルガンさんと結婚したことたことから「玉の輿の日」と言われているのだという。
そして、ここには、お雪さんの波乱万丈な人生が刻まれていた。
当時、ジョージさんは、胡弓が上手だったお雪さんに一目ぼれ。
しかし、彼女には一緒になることを約束していた京大生の恋人がいたため、
ジョージさんの求婚を断り続けたのだそう。
お雪さんは、それでも諦めないジョージさんに諦めてもらい恋人と結婚できるよう、
当時の額で4万円、今に換算すれば1億、いや4億以上だとも言われる落籍料を
敢えて提示していたのだという。
しかし、粗方想像はできるのだけれども、
恋人のご家族が芸妓との結婚に反対し、京大生の彼は、親が決めた人と結婚してしまうのだ。
恋人と一緒になることができなかったお雪さんが、
当時、何を思い、感じたのかを知る術はないのだけれど、
最終的に、ジョージさんと結婚しアメリカへと渡った。
そのような彼女に世間は金銭当てで結婚したなどと言いたい放題だったという。
その後、お雪さんはアメリカの社交界では
日本の淑女として知られるようになったという話もあるのだけれど、
実際のことろは、今よりも人種差別がひどい時代だったでしょうから、
心身共に苦労が絶えない暮らしをしていただろうと思う。
しかも、結婚11年目にしてジョージさんが急死し、
莫大な財産は、全て寄付していたため残っておらず、
苦しくて孤独な生活を異国の地で送る中、第二次世界大戦を機に日本へ帰国した模様。
しかし、帰国後も、金銭目当てで結婚した女性という世間からのレッテルは健在で、
波乱万丈の人生を82歳まで送ったという。
お雪さんは「日本のシンデレラ」と呼ばれているそうなのだけれども、
果たして、どのような意味でそう呼ばれているのか……。
私には、「玉の輿」という言葉の向こう側には、
当人にしか分からない、だけれども女性であれば何かしら感じ取ることができる
ある女性の人生が詰まっているように思え、幸せの定義も様々で人それぞれ。
結局のところ、いつの時代も真を見るというのは簡単なことではないのかもしれない。
というところに着地した。
玉の輿という言葉に触れる機会がありましたら、
2人の女性のことをちらりと思い出していただけましたら幸いです。
まだまだ寒い日が続いております。
体も心もぽっかぽかにしてお過ごしくださいませ。