音楽を取っ替え引っ替え部屋に流しながら紙資料の整理に勤しんでいたのだけれど、
作業が思うようにはかどらず、しばらくの間、真っ白な天井を見上げていた。
暖房によって乾いた室内の空気に混ざり広がるメロディーは、
その音もまた乾いているように感じられて少しだけ不思議な気分になった。
少し気分を変えたくて部屋に馴染みきらない音楽を止め、
久しぶりにネットラジオを流した。
ネットラジオから聞こえる話し言葉はすぐに室内に溶け込むようにして馴染み、
私の両の手も次から次へと紙資料を仕分け始めた。
仕分け整理も、あと一息のところまで来たときだった。
ネットラジオから「テンパる」という言葉が耳に届いた。
気持ちに余裕がなく、精神的に追い込まれた状態を表す言葉として使わることが多い言葉なのだけれど、
本来は、準備が整った状態で気持ちにも余裕がある様子を表す言葉だという。
これを教えてくれたのは、麻雀が趣味だと言っていた当時の上司だ。
雑談中に私が発した「テンパる」という言葉に対して、「麻雀できる?」と言われた私は、
目の前の上司のことを突拍子もないことをいう人だ、と思いながら「できない」と答えたように思う。
この「テンパる」という言葉、麻雀を知っている方にとっては耳馴染みの言葉なのだそう。
あと一つで上がれる状態、つまりあと一歩という状態のことを麻雀用語で聴牌(テンパイ)という。
これを動詞として使えるようにした言葉が「テンパる」というもの。
あともう一歩のところまで到達しており、気持ちにも余裕がある状態なのだけれど、
あともう一歩というところは、ゴール手前の状態でもあり、
想像によっては切羽詰まった状態を連想することもできることから、
気持ちに余裕がなく精神的に追い込まれた状態を表す際に使われるようになったのだとか。
麻雀を知っている方は、
あともう一歩というところまで到達しており、気持ちにも余裕がある状態を想像するのと同時に、
聴牌(テンパイ)という状況時の緊張感から
気持ちに余裕がなくなり、ある意味、精神的に追い込まれた状態を想像することも可能で、
現在の使われ方に対しても違和感を抱くことは少ないのかもしれない。
だけれども逆に、麻雀のルールを知らない私からすると、
「テンパる」という言葉から、準備が整って気持ちに余裕がある状態を想像してみてと言われても
想像し難いように思う。
この言葉は、私の様に麻雀のルールを知らない人が多かったからこそ、
本来の意味とは真逆の意味で定着しつつある言葉なのかもしれないと思ったりもする。
これは一説に過ぎず、もしからしたら英語のテンパーという単語が語源ではないか、
という説もあるそうで、真実はいかに!という状態でもあるようなのだけれども、
日本語には、連チャン、対面(といめん)、安全牌、立直と書いてリーチなど、
麻雀用語が語源になっている言葉が他にもあることを思うと、
「テンパる」も麻雀用語が語源だという説が有力なのではないだろうか、と私は感じていたりする。
世の中には、白黒はっきりさせずとも上手く回っているようなことも意外と多い。
日本人の大らかさには時代をも大らかに越えていく力があるのかもしれない。
そう言えば、どうして麻雀用語を語源とする言葉が多いのか。
そちらの世界はまたゆっくりと覘いてみよう、
そのようなことを思いながらパンパンに膨らんだゴミ袋の口をキュッと結んだ。