私の先輩知人に足立さんという方が居る。
以前は同じ組織に所属していたのだけれど、それぞれ、その組織を巣立ち、
今は当時とは畑違いの仕事を生業にしている。
お互いに、そうなるであろう片鱗を相手の中に感じていたのか、
「今の方が合っているように見える」という会話を時々、交わしている。
昨年、何年ぶりだっただろうか。
あるパーティーで、それはそれは久しぶりに顔を合わせる機会があった。
顔を見た瞬間に“あの頃”に戻ってしまう感覚も久しぶりのもので、
ご一緒した期間は短かったけれど、
充実した時間を共有させていただけていたことをありがたかったと、改めて思った。
次に会える確証はどこにもない、ということを無意識に感じられるほど、
各々が月日を重ねてきたということなのか、数人で場所を変えて飲み直すことになった。
そこで、その足立さんが内ポケットから一通の封書を取り出し、
「今朝、出かけついでにポストから取り出してきたんだけど、見て」と言い、
テーブルの中央にポンと置いた。
一同で宛名をじーっと見つめていると、一人が「きゃたつ……きゃたつ様」と宛名を読み上げて笑いだした。
本人の話によると、電話のやり取りの末、文書を送ってもらうことになり、
体の部位の「足」に、腕立て伏せの「立て」と書いて「あだち(足立)です」と伝えたのだそう。
相手は、すんなりと理解してくれたそうで聞き返されることも無く、「かしこまりました」と答えたという。
しかし、届いた宛名には「足」ではない方の「脚」が使われており、
足立さんではなく、脚立さんと記されていたのだ。
無事に届いただけ良かったじゃないですか、と言ってあげればよかったのかもしれないけれど、
そこに居た私たちは、ジワリジワリ「きゃたつ様」という響きに心を侵食され大笑いした。
その後、そのようなことがあったことも忘れてしたまった頃、
シチュエーションは異なっていたのだけれど、
領収書に足立様ではなく脚立様と書かれたという話を聞き、ふと思った。
もしや、これは“足立さんあるある”なのではないかしら、と。
手足の「足」だと言えば通じるような気もするのだけれど、
頭で分かっていたとしても、太ももから下の足全体を想像してしまった人は、イメージが先行してしまい、
無意識に「脚」の文字を選んでしまうことがあるのかもしれない。
人のイメージ力は自由で、面白い。
と思うのと同時に、こっそりと、自分の名前を電話で正確に伝えるためのシュミレーションを確した。
それからだ、脚立を目にすると足立さんの顔が浮かんでしまう。
世の中の足立様、「足」を口頭でお伝えする際にはご注意あれ。
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