しばらく眠らせていた古い資料を取り出したくて、
収納庫の奥の方に押しやっていた段ボールを引き出した。
ざっと目を通してみると既に役目を終えたものもあり、ついでに仕分け作業をすることにした。
半分ほど処分を決めた頃、
ほとんど手付かずだということがひと目で分かるくらい状態の良いトランペットの楽譜が出てきた。
懐かしさから中をのぞいてみたけれど、あまり良い思い出は湧き上がってこなかった。
イギリスに居た頃、お世話になっていた方の勧めで楽器を習うことになった。
せっかく習うのであれば、これまでチャレンジしたことがないものを。
そのようなことを思いトランペットとサックスで迷った結果、トランペットを選び、
毎週1回、1時間ほどのレッスンを受けることになった。
トランペットで思う様に演奏をするには、口周りの筋肉が必要だと知るのだけれど、
日頃、意識していない筋肉を使うため、練習後やレッスン後は、
まるで歯科医院で麻酔を打たれた後の様に、口元の感覚が無くなることを体感し、
トランペット奏者もアスリートではないか、と当時の私は思った。
音は出せるようになったけれど、想像していたほど楽しいと感じられなかった私は、
2週間ほど、練習とレッスンをサボった。
その間、色々なことを思ったのだけれども、
私にとってトランペットは、その音色を聴くことが好きで自分で演奏したいわけではない、
という答えが出た。
飽き性、三日坊主、ガッツが無い……、まぁ、見方や見え方は様々だけれども、
「好き」や「好きな形」にも方向性があり、体験して初めて分かることも多々あるのだ。
このままレッスンを受け続けることはできないと思っていると、
それを察していたであろう英国紳士を絵に描いたようなトランペット講師から、
トランペットのことで悩んでいるのであれば相談にのると連絡が入った。
思っていることを、そのままストレートに話した私はレッスンの解約を申し出た。
「はじめまして」と挨拶を交わしてから2か月ほどだったように思う。
きっと、私の様に挫折してしまう人が多いのだろう。
ここを越えれば楽しくなると熱く語っていただいたけれど、私の気持ちが変わることは無かった。
その時、もし、もう一度、トランペットを演奏したいと思った時には、
この楽譜を使って欲しいと言われいただいた楽譜が、それだ。
大切にしまっておいたけれど、開くことのないままだったそれを眺めながら、
やはり私は、誰かが奏でるトランペットの音色を聴く方がココロ躍るようだと確信した。
あの時、少々重たい空気になったその場を和ませようと気遣ってくださったのか、講師が私に言った。
君は、三味線や和太鼓は演奏できるの?と。
触れたことも演奏したことも無いと答えると、
触れたこともない?何故?日本の楽器でしょ?学校では習わないの?と返された。
自国の楽器だからと言って、誰もが演奏できるわけではないことは世界共通なのだろうけれど、
自国の伝統楽器には触れもせず、ピアニカやハーモニカ、
リコーダーやオルガン、ピアノを練習する光景は、彼の目には不思議に映ったようだった。
そして、彼の目を通して見た、私にとって当たり前だった光景は、私のことも不思議な気分にさせた。
捲り終えた楽譜の最後の頁に、講師からのメッセージが書いてあった。
トランペットが君に幸せを運んでくれますように、と。
いつの間に書いたのだろう。
随分と月日が経ち、初めて気付き受け取ったメッセージに胸の奥が温かくなった。
開きもしない楽譜を処分できずにいた訳は、
このメッセージを受け取っていなかったからだと思った。
私は今もトランペットは奏でられないけれど、
様々な楽曲で耳にするトランペットの音色には幸せをもらっていますと、
届かぬメッセージを解き放ったある日の午後。