とても楽しみにしていた食事会だった。
素敵な音楽を全身で堪能し、美味しい食事と楽しいお喋りを心ゆくまで楽しんだ。
しかし、少々調子に乗りすぎた私の体は、翌日、体内リセットを要求してきた。
キッチンに立ち、もう少し、大人にならねば……と反省しつつ「お粥」を作っていると、
以前、外国から友人が遊びに来た時のことを思い出した。
友人は、お粥専門店で「お粥」を食べてみたいと言った。
お粥の美味しさは世界共通なのだろうか、と思いながらお目当てのお店へ案内した。
運ばれてきた真っ白なお粥と薬味などを前にした友人は、
「お粥って雪のように白いものもあるのね」と言いながら、何枚も写真を撮っていた。
「白いものもある」という部分の表現が気になったけれど、
食べ方を説明したあと、私は、その通りに口に運んで見せた。
直ぐに友人も私の真似をして、お粥を口に運んだ。
どのような反応をするのだろうかと様子を伺っていると、
「これはお粥じゃない、これじゃない」と言った。
お粥だよ、お粥じゃない、の押し問答が続いたあと、
彼女は呆れ顔でカバンの中からガイドブックを取り出し、
「お粥」の写真が載っているページを開いて私に差し出した。
これは、お粥ではなくて「雑炊」もしくは「おじや」ではないだろうか、
と返しながらガイドブックを読み進めると、
雑炊(/おじや)以外の何ものでもない説明と画像にOKAYUとあった。
校正機能が働かなったそれを正すため、
私が、お粥と雑炊とおじやの違いを友人に説明をすることになったのだ。
どれも、白米をたっぷりの水分で煮たものだけれども、
「おかゆ」は生のお米を水から煮たもので、味付けはシンプルに。
一方、雑炊(/おじや)は炊いてあるご飯を出汁や鍋料理の煮汁で煮るという違いがある。
雑炊(/おじや)は出汁や鍋料理の煮汁を使うことから、
具材が入っていることもあるため「雑」という文字が使われていると言われているけれど、
もとは、水を増やしただけのもので具材は入っていなかったため、「増水」と書かれていたとも。
雑炊とおじやの区別には諸説あるけれど、
言い分けている方はどれくらいいらっしゃるのだろうか。
一般的には、雑炊とおじやは同じものだと認識している方が多いけれど、
各ご家庭や地域によって区別の基準も様々なのだそう。
私は、その時々の気分やイメージに合う呼び方をしているため、同じものだと認識しているようだ。
「雑炊」と「おじや」を同じものだと言う説のひとつに、
「雑炊」を女房詞で言うと「おじや」という呼び方になるというものがある。
女房詞とは、室町時代に宮中に使えていた女性(女房)たちによって使われ始めた言葉のこと。
彼女たちは、口に出しにくい言葉を別の言葉に変えたり、
本来の言葉よりも柔らかい印象の言葉に言い換えていたそうで、
女房詞は、高貴な言葉として扱われていたという。
ただ、高貴な言葉と言うけれど、
「おじや」は、ご飯が煮えるときに聞こえる音を表す「じやじや」の頭に「お」が付いて
「おじや」と呼ばれるようになったのだそう。
ワタクシ、この件に限っては、高貴な言葉とするのかどうかは、
個々の判断に委ねればいいのではないかと、内心思っていたりする。
友人は、リゾットやサムゲタンの日本版を求めていたと言い、
プレーン(白粥)よりも味付き(雑炊やおじや)が好みだと連呼していた。
健やかなるときも、病めるときも、体が体内リセットを要求してきたときにも、
そっと寄り添ってくれる「お粥」の優しい美味しさの共有は、
世界共通とまではいかず、少々難しいものなのだろうか。
土鍋粥に、ぷっくりと肉厚に仕上げられた梅干しとちりめん山椒、塩昆布を添えながら、そのようなことを思った。